Young Folks!? |
[ 2009/09/30 ]
Entry/ Young Folks 創成秘話
2016年9月30日(金)
疲れていた。
ひどく疲れていた。
笑えるくらい疲れていた。
足が棒のようだ、などという陳腐な表現はしたくない。
したくないが頼らざるを得ない。
プライドもポリシーもあったもんじゃない。
んなもんふかふかベッドの前にはあっという間に霧散するわ。
ちくせう。
とまあ、愚痴を考えるくらいには疲れていた。
つまり人間には芯のようなものがあって。
その芯にしてみても強かったり弱かったりして。
おれみたいに簡単に足が棒のようだなんて表現してしまうのは。
やっぱり芯が弱いってことなんだろう。
そんなふうにくどくど考えていた。
街は暗い。
もう暗くなってしまった。
おれの夢やいかに?
そんなふうに一寸おすましな思慮が進む頃合いだ。
こういう時間にはさっさと家に帰って寝るのに限る。
闇はおれを浸食してしまうから。
「『ねえ、なんてすてきな人生なのでしょう?』」
ふいに。
なにかすばらしい声が聞こえてきたように思った。
乾燥しきったコンクリートに浸透していくような。
くぐもった空をかき分けて割線せんとするような。
すべての大気に自己を希釈しようと息巻くような。
そんな天啓のような声が降り注いだように思った。
女の子だった。
笑えるくらい女の子だった。
こんなところでこんなことをしてるべきじゃない。
そんな女の子だった。
髪色は明るく、化粧は控えめ。
それもどこか自己の信ずるものに従ってそうしたような。
可憐なよそおいの、女の子だった。
いくつか描写しなくてはならない。
まず女の子がいたのは駅前の広場。
座っていたのは汚れきったベンチ。
着ていた制服は愛する母校のやつ。
抱えていたのはアコースティック。
たぶんだがマーティンのいいやつ。
唄っていたのはフリート・フォクシーズ。
そのさまは、あまりにも異様だった。
まずフリート・フォクシーズのメンバーはみんな髭をもっさり生やした二十代の青年ばかりであり、こんな可憐な女の子は間違っても在籍していない。
まあそれはいい。
だって誰も知らない。
フリート・フォクシーズなんて誰も知らない。
もちろん道行く人々は誰一人として、気にしていない。
まるでそこになにもないかのように。
自分の道を急いている。
だからこの世でおれたちを気にする人間なんて一人もいない。
でも彼女は唄っていた。
なにかを研鑽するように。
なにかを叙情するように。
なにかを演繹するように。
彼女は歌い続けていた。
彼女の化粧はまるで欠点を助長するような。
いや、欠点などひとつしかないのだけれど。
欠点と呼べるのかどうかすら怪しいけれど。
とにかく欠点を助長するようなおしろいで。
それは深く深く刻まれた、渓谷のような隈。
酒と煙草とドラッグと、不眠が肩を組んで。
そこに鎮座しているかのような、隈だった。
そしておれは自分の目元をするりと撫でた。
感じることはできないけれど、きっとそこには隈がある。
鏡を見ればいつも通りきっと、やつれた男がそこにいる。
だからかもしれない。
彼女の唄う曲はみんな似合わない曲ばかりだったけれど。
おれはずっと聴き続けていた。
おれはたった一人の聴衆となって。
その音楽たちを聴き続けていた。
どれくらい立ち尽くしていただろう。
よい感じに足が棒になっている。
やべぇまた使っちまった。
ちくせう!
ちくせうっていう書き方、なんか品性があっていいよね。
汚い言葉なのにね。
とにかく彼女は立ち上がって、片付けを始めた。
といってもケースにギターをしまうだけだ。
おれは大慌てで財布を取り出し、金色の硬貨を取り出した。
お嬢ちゃんすまねぇ、おじさん感動しちまった。もう一曲歌ってくれるかい? オレの初恋の曲さ……てな感じのイメージだ。
ぴーん!
指で弾いてクールに渡す。
中空を回転しながら飛ぶコインは、あくまでもクールに受け止められる、
はずだったが彼女の側頭部に直撃した。
あたりまえだ、こっち見てなかったじゃねえか。
「すわ、なに、痛い!」
可憐な声だった。
可憐な声だったがしかし、すわ、などという胡乱な語彙の持ち主であることにおれは期待と不安を覚えた。
いやそんな場合じゃない。
「すわ、ごめんなさあい!」
俺は駆けだしてコインを拾った。
ちげぇ、なんかちげぇ、などと自分に突っ込みを入れるが時すでにまさし。
(注釈:【▽雅 訓読み:みやび、まさ・し】宮廷風・都会風に洗練されていること。上品で優美なこと。風雅)
おれは結果的に女の子の前に躍り出る形となった。
ここで取り繕えば不慮の事故で硬貨を投げつけて、あまつさえぶつけてしまった哀れな青年として認められたかもしれなかったが(無理)、おれは拾い上げたコインの汚れをふっと息で飛ばしてそれを差し出すと、ごくクールに「お嬢ちゃんもう一曲歌ってくれるかい?」と囁いた。
「え、え? なに?」しかし彼女は困惑した。
「あ、あ、えっと」つられておれも困惑した。
「リクエスト?」彼女はどうにか要領を得た。
おれはぶんぶんと首を縦に振った。
クリストファー・ウォルステンホルムも真っ青のヘッドバンギングだ。
瞬間、ピキンという音をたてて首の根本のあたりの筋が違えた。
バイトしまくって疲弊していたことを忘れたか、阿呆、という心の声が痛みとなって脳髄に響いた。
涙と痛みを堪えつつクールな表情を取り繕い、おれは伝えた。
「カメラ・オブスキュラの、”Let’s Get Out Of This Country”」
彼女は得心したように頷いた。
心なしかその顔は期待に満ちていた。
彼女はすぐに曲を始めた。
『さあ、この国を出ましょ
もうあきあきしちゃったわ
たぶん何マイルを走っても
もう振り返ることはない
教会の街を見つけて貴男はいうの
きみ、とってもかわいいよ
さあ、この国を出ましょ
とっても不幸せだったの
ジャスミンの香りで目が覚めて
神様にみんな打ち明けたわ
教会の街を見つけて二人で住むの
あなたはハンサム、わたしは清く
結婚するにはなにがいる?
わたしはこの街、来たばかりだから
わからないの、わからないのよ!』
おれは飛び上がって喜んだ。
最高に良かったのだ。
べつだん歌声が素晴らしいわけじゃない。
ギターだってコードをなぞるだけだ。
けどそこにはおれのような人間を悦ばせる、なにかがあった。
そう、なにかだ。
それを他人に説明しろと言われれば、ひどく難しいけれど。
べつに意味もなく飛び上がったわけじゃない。
おれという人間にためにしになってみて、そしてこれを聴いてみれば。
その意味がきっと判ると思う。
そういう良さだった。
カタルシスってやつかねえ、どうだろ。
アリストテレス読んでねぇからわからん。
おれは拍手を贈った。
それくらいしか贈るものがなかった。
彼女は立ち上がってギターをしまい、それを背負った。
そしておれに一歩近付き、期待を込めた声で言った。
「どうでした?」
「う――――――――――――――んそうだねぇ。あえていうならばそうだねぇう――――――――――――――――――ん、う――――――――――――――――ん」
彼女の目の色は、おれの言葉の棒線が伸びるごとにだんだん疲れていった。
ちょっとカワイソウになった。
なのでサムズアップしつつ、最高の笑顔を造った。
「GOOD」
彼女も笑ってくれたが、その笑みはやや引きつっていた。
口元がぴくぴくしていた。
ちょっとばかしおれの表現がキモかったのかもしれぬ。
考慮に値した。
「う―――――――――――――――ん…………」
「…………あのう……」
ナイスな表現を思いついた。
これしかねぇ。
目を閉じて胸に手を当てた。
「…… まるで野に咲く花のように野性的で、かつ嫋々たる趣があった。なぜこれほどの力を持ってしても人々の足は止まらず、この素晴らしさが無下にされてしまうのだろう? おれは断じてこの理不尽から目を逸らしてはいかんと考えるが、とかく世間の無理解に耐えてよく頑張った。感動した!」
祝辞献上を終えて伺い見た。
彼女はまた笑ってくれていたが、その笑みは先ほどよりも引きつっていた。
うわぁ…………………。
って感じの笑みだった。
それは、なんかもう取り返しのつかないレベルに変容していた。
おれは脱力し、引き留めて悪かったね、ありがとう、と言った。
はい、聴いてくれてありがとうございました、と彼女は答えた。
そしておれたちは別れた。
ちなみにおれは気違いでもなんでもなく(そう思わせる節はところどころあったにせよ)、どちらかといえば平々凡々な人間である。
趣味はない。
どれくらい趣味はないかというと少々表現が難しいが、皆様方にも判り安いよう最新の注意を払い、おれの言葉を下記に現代語訳してみた。
ではどうぞ。
趣味ぃ?
うーん……。
読書ってところか?(照)
あ、あとテレビもよく見るな。
ドラマだと最近やってる『業務用コンドームとぼく』とか好きだね。女優のパイオツたまに見れるし(笑)
あれの小説読んだ? ケータイの。おもしれーからまじ。いやほんとだって。タイトルで避けてるだろお前。読めってまじで(怒)
あー音楽?スピッツとか好きだなあ。え?古い?お前スピッツ馬鹿にすんじゃねーよ?怒るぞまじで?(笑)
あー今日の授業まじかっるいなぁフケよっかなあ。
なあなあ、カラオケいかね?カラオケ!きみをわすれないー♪
なに?授業?いいんだよどうせ受けなくても赤点とかとらねーし!
まじやべー歌いたくなってきた!なあ行こうぜ!行こうぜ!
なに?キモい?
あ、
ああ、キモい……。
ああ、……はい…………すいません…………。
さて。
自分のことをこんな感じに言う奴に限って、それがポーズであることをおれは知っている。
そしておれの場合はというとだ。
違うんだなこれが。
これがマジで違うんだなこれが。
ポーズでした。
すいませんでした(弱)
さて(仕切り直し二回目)、おれは正真正銘の気違いである。
あれ、なんか自分で言い切るとすげぇ爽やかな気分だ。
危ない危ない。
まあ気違いとまでは言わないけれど、ちょっとばかし変わってる。
どれくらい変わっているかというとだ。
それはそれは変わってる。
かなり変わってる。
超変わってる。
ウルトラ(むしろウルトラというよりもオルトラに近い発音で)変わってる。
地球をひっくり返し、人類総勢六拾億を網で漉したら、一発で引っかかるレベルで変わってる。
あ、でもこれは変わってるというより単にデカイだけか……べつにおれそこまでデカくねーな……。
話がそれた。
つまりおれは変わっている。(話が進まない)
どれくらい変わっているかというと、急に実際的な話をして申し訳ないが、とにかくあまりの散財っぷりに普段は優しい母君が怒髪天を突き、いくつかの小物かつ重要な機材の類を家中のあらゆるところに隠すくらいだ。そしてそれらすべてを埃まみれになりながら探し当てたときには母はひとつため息をつき、それからおれの奇行についてなにも言わなくなった。それくらいだ。
……ごめん、一息に言い過ぎた。
じゃあこうしよう。
おれの部屋には楽器が溢れている。
いや、もっと端的に言うと。
おれの部屋には音楽とベッドしかない。
テレビもなければラジオもない。
本棚もなければ机もない。
ポスターもなければカレンダーもない。
壁もなければ床もない。
すまん、壁と床はあった。
あ、あと扉もあったな。つかそれなかったら出入りできんわ。
なに、時計? ああそれもある。うん、ごめん。忘れてた。
え、ティッシュ箱? ギックゥ! えっと…………あるに決まってんだろうがハゲ(逆ギレ)
なに、空気? ああ確かに空気もあるね。なかったら呼吸できないもんね。そういう子供みたいな突っ込みやめようね(マジギレ)
……とにかく。
存在を主張するのは、むき出しのフローリング。
そしてそのうえに乗せられたあまたの機材。
部屋の隅っこに肩身狭そうに座っているベッド。
それだけだ。
オラこんな部屋ーイヤだー、という唄があるが、まさにそんな感じだ。
話がちょっと横道に逸れるが、若者にはブンガクが必要であるからしてたまに学校の図書室からカントとかキュルケゴールとか借りてきて読むけれどさっぱりわからん。
そして読んだ後にこりゃブンガクじゃなくてテツガクだと気づく始末である。(散文的)
どっちかっていうと表紙にかわいいアニメの女の子が描いてあるやつ、ああいうのが好きだ。わかりやすい起伏があって転結がある。
しかし人生にはそんなあつらえたような起伏はない。
おれたちの敵は常にもやもやとした実体のないものだ。
だからおれは世界を仮定する。
すべてを支配しているのだと仮定する。
もちろんおれが死ねと言って総理大臣が死ぬわけでもないし、しゃぶれと言ってしゃぶってくれるわけでもない。(下品かつ散文的)
そう、おれが支配している世界は、この私室のなかに広がる音楽の世界なのである。
おれは幾度か彼女のもとに訪れた。
というか帰り道をちょっと逸れたくらいの場所なので、バイトが終わったあとはいつもチェックした。
ベンチには彼女がいるときもあれば、いないときもあった。
たとえ唄っていたとしても、勤労に疲れすぎていてまともに聴いていられないときもあった。
けれどおれは彼女の姿を認めるたびに、側頭部めがけてコインを弾いた。
最初のうちは何度か当てることに成功していたが、そのうちおれの姿を認めると身構えてコインを受け取る体勢を整えるようになってきたのが非常に口惜しくもあり面白くもある。
人間は学習するのだ。
とかくおれはそんなことばかりしていた。
なにか決定的な確証を求めて。
そしておれは訪れるたび、いつも一曲をリクエストをした。
「クランベリーズの”Animal Instinct”」
「ラウラ・マーリンの”My Manic And I”」
「カーディガンズの”Rise And Shine”」
「ゴー・ティームの”Fake ID”」
「ラッシュの”Ladykiller”」
「ソフィー・ミルマンの”My Heart Belongs To Daddy”」
驚くべきことに。
彼女は一度も首を横に振らなかった。
もちろん音楽の世界には敵がいる。
沢山の敵だ。
彼らはしかし、おれにとって心強い味方になってくれることもある。
おれはあらゆるジャンルがどう派生していったかをイメージし、たまにそれを地図に見たてて空想する。
たとえばおれはこの地図の大方を占めるロックンロールという分類に属しているが、そのジャンルが発生したカントリー・ミュージックという地帯についてはあまり理解できない。
理解できないものは敵であるからしてカントリーは敵だ。
逆にリズム・アンド・ブルースなんかはグっとくるので味方である。
だからおれは世界中に存在するカントリーよりも、もっとすばらしいロックンロールを創って戦う。
それがおれの戦いだ。
孤独な戦いだ。
勝てる見込みがあるのかないのか、それすらわからない。
「なにか、バンドとかしてないんですか?」とあるとき彼女は訊いた。
「いや。おれは、独りで戦ってる」
戦ってる、という言葉に少し不思議そうな顔をした。
おれは思いついたことを適当に喋った。
「べつに組んでもいいさ。おれより演奏がうまい奴なんてごまんといる。でもあいつらなにがひでーって、みんなバンプオブチキンのコピーやりたがるんだよ。まあ極端な話だが。でもおまえそれ……いやべつにバンプオブチキンが嫌いなわけじゃない。むしろ好きな部類だ。でもなんていうか、それ、おれらがやらなくても別の誰かがやってるだろ? っていう、な、わかる?」
彼女は笑った。
「女子でバンドを組む場合、それがチャットモンチーになります。嫌いじゃないんだけど……」
おれは大笑いした。
「まあ、そういうことだ。だからおれは独りで戦ってる。きみもそのクチだろ?」
彼女はうなずいた。
おれは空を見上げた。
幾たび彼女の声がそこに響き渡ろうと、くぐもった空は割れはしない。
そもそも聴いてなかったみたいに、だんまりを決め込んでやがる。
おれはポケットに手を伸ばして、煙草を取り出した。
灯を付けて吸い込むといつもどおりの味がした。
「一本もらっていいですか?」
思わぬ声におれは頬を緩めた。
「おいおい、いいのかよ、パトロール中のおまわりさんに捕まって未来閉ざされるぜぇ? その素晴らしいお声が擦れるぜぇプロになれないぜぇ?」
「うーん、プロとか、べつになるつもりはありませんから」
「ほう? 面白い事を言う」おれは一本を差し出し、咥えた彼女の口元に火種をかざした。「ならなぜ唄う? 純粋に唄いたいからかもしれない。しかしそれならこんな所に出てくる必要はない。スタジオにでも行って独りで唄えばいい」
彼女は一口を吸った。
「認められたいからだ。違うか? 認められて上り詰めたいからだ。違うか? だからきみはここで唄う」
彼女はため息とともに紫煙を吐き出した。
「意地悪ですね、あなた」
「うむ。それも生半可な意地悪じゃねえぞ。地球をひっくり返して六拾億の人間を網で漉したら一発で引っかかるくらい意地悪だ」
「さいですか」
「うむ。そして自分がどんなに素晴らしくても、絶対に認められないことも知っている。そうだな?」
彼女はもういちど吸って、煙を吐いた。
「……この煙草、辛くておいしくないです」
「文句ならJTに言え」
「未成年の文句は受理されません」
「その通り」おれは頷いた。「その通りだよ」
おれは吸い殻をその場に落とした。
彼女はもう一口吸って、おれに倣った。
人々が良いものに対して無関心であるのと同様に、悪いものに対しても無関心であることを、おれたちはよく知っている。
おれがまるで奴隷のようにバイトを繰り返すのはなにもマゾだからではない。
楽器というものにはなにかと金がかかるのだ。
たとえばギター。おれの持つクロームピックガードに黒のフェンダー・テレキャスター・デラックスは二十万円する。どうだ戦け、そして畏怖しろ。こいつはテレキャスターのくせにハムバッカーのピックアップを三つ備え、それぞれに呼応した三段階のスイッチを切り替えればレスポールのような重低音、テレキャスター特有のカッティングの切れ味、リッケンバッカーのような硬質なアタックが得られる優れもので、何々、何々、何々……。
とまあ話し始めると止まらないのでいかに金がかかるかを描写しよう。
まずアンプ。
これはスピーカーと言ったほうが通じるかもしれないが、要するに拡声器だ。VOXの五十ワット、七万円(中古)。
ギターとアンプを結線するケーブル。
モンスター・ケーブル、たった五メートルぽっちの導線が一万円。
数え切れないほどのエフェクター、ひとつ五千円のものから五万円のものまで一通り。
そしてそのエフェクター同士を結線するケーブルがエフェクターの数だけ、一本三千円が十本で三万円。
ふつうはギターからエフェクターに接続し、そこからエフェクター同士を繋げていき、最後にアンプに出力する。
さて足し算してみよう。えっと……めんどくせぇ。だいたい三十五万ってところだ。どう思う? きみ、払える? 音楽のためだけにこれだけ? 払えないよねぇ。
しかしおれは払った。
なんのためらいもなく払った。
それはある意味においては好ましいことなのかもしれない。
一介の学生がちょこまか動き回るだけで月に十万を稼げるというのは、高度に発達した文明社会の賜物と言える。
そしてある意味においては好ましくないことなのかもしれない。
学生にして十万を稼ぐためにはほとんどすべての時間を労働に当てねばならず、他者との完璧な隔絶を意味する。
しかしながら、おれはほとんど思考を停止して働き続けている。
得ねばならないものはまだまだたくさんある。
そして手に入れたものも沢山ある。
マイク、マイクアンプ、ドラムマシーン、新しいレコード、新しいエフェクター、代えの弦、ギターワックス、ピック、そして楽曲を編集するためのパソコン……渾然一体となったそれらのために、おれは比喩ではなく、常に、働き続けている。
学校で彼女を見つけた。
おれの行く高校はあまり賢くない。
昔から本はよく読んでたので現代文の成績は良かったが、それ以外はからっきし駄目であり、おかげでこれくらいの偏差値に落ち着いた。
べつにおれはもっと良い高校に行って学友たちと文学的な話をしたかったわけでもないし、もっと馬鹿な高校に行ってツレと煙草をふかしたかったわけでもないし、音楽の専門学校に行って組みたくもない仲間と組まされバンプオブチキンを演奏したかったわけでもないが、かといってこの中庸そのものの高校に満足しているわけでもない。
満足というより、他者との外交にそこまでの価値を感じない。
そりゃあ話しかけられれば答えるし、暇なときはくだらない事を喋ったりする。
うまいこと言うやつが居れば笑うし、逆にこっちからうまいこと言って笑わせることもある。
それがもっとも無難な道、というか、面倒くさくない道なのだ。
とくにキャパシティも占有しないし。
話を戻す。
そう、彼女もまたその面倒くさくない道を選んだようだった。
いつもどおり建物の裏で食後の一服と洒落込んだのち、ブレスケア・ミントでブレスをケアしつつ珈琲を買いに学食に戻ったおれは、姦しい集団のなかに混じって話す彼女の姿を見つけた。
おれは興味をそそられて、無糖の珈琲を飲みながらぼんやりと彼女を眺めていた。
彼女は、ひどく不器用に、笑っていた。
おれが偏屈で、そう見えるだけなのかもしれない。
事実、その集団のなかの誰一人として、彼女の笑顔を訝しむものは居なかった。
しかしながらおれは。
不器用であると。
白い肌に渓谷のように刻まれた隈が、痛々しくてたまらないと。
そう描写せざるを得なかった。
誰かが喋る。
笑う。
また誰かが喋る。
笑う。
彼女も喋る。
笑う。
また誰かが喋る。
笑う。
その繰り返し。
しかし彼女とその他大勢の間には、目に見えない隔絶が確かに横たわっている。
キュルケゴール的に言うならば、自分が絶望していることを自覚していない状態がその他、そして自分が絶望していることを自覚している状態が彼女だった。
おれは吐き気を覚えた。
考えないようにしていたものが、胃の奥からこみ上げてくるようだった。
おなじ人間であるはずなのに。
おなじ人間という種であるはずなのに。
なぜここまで、おれたちは優れてしまったのだろう?
なぜここまで、聡明でなくてはならないのだろう?
彼女はふいに座席から立ち上がって、こっちに歩いてきた。
そしておれに気づいた。
それはおれを見つけたからこちらに来たというよりも、なにか別の目的を持って歩き出したように見える。なぜならばおれは入り口近くの自販機の前でぼーっと突っ立っていたからだ。EOS(エンドオブスピーチ)。
うむ、正常な思考だ。
正常な思考ができる気違いになることほど楽しいものはないが、相手にして手に負えないのもまたこういった手合いである。なのでこれを読んでいる方、万一おれを見かけたときには廻れ右して逃げるのをお勧めする。いやこれマジで。
……とにかくも、「やあ、奇遇だねえ」とおれは声をかけた。
「あえ? あ、あなた。こんにちは……?」
「言い忘れてたがおれもここの学生なのだ。たぶん上級生である。えっへん」
「はあ、さいですか」
「まあ、はやく行きたまえ。することがあったのだろう」
「あ、はい」
彼女はとことこと歩いて、食堂の隅にあるお花畑に入っていった。
おれはひとしきり彼女がお花を摘むところを想像して愉しんだ。
戻ってきた彼女に声をかけた。
「いい花は摘めたか?」
ちげぇ。
「え?」
「言い間違えた。……お前、楽しいか?」
「……え?」
我ながら意地悪な質問だと思った。
「実直に過ぎた。なあ、お前、もう一度あそこに戻りたいか?」
「………………どういう意味ですか?」
おれはにっこりと悪魔的な笑みを浮かべた。
「食後の希望を一服したくないかという意味だ。今ならカッフェ・オーレ一杯にブレスケア・ミントのお裾分けまでついてくるぞ?」
「ごちになります」すぐに彼女は答えた。
なかなか自分の求めるところに素直だ。
おれは自販機に紙幣を挿入し、カフェオレを五つ買った。
「うわあなにしてるんですか……そんな飲めるわけないじゃん……」
「ん? ああ、いやあこれはな」
おれは一本を彼女に手渡し、残りの四本をさきほど彼女が話していたその他大勢のところに持って行った。
その他大勢は彼女抜きで姦しく会話を続けていたが、おれがそのテーブルの中心に缶を四つどかんと置くと、途端に静まり帰った。
「すまないけどちょっとあの子借りてくよ。これみんなで飲んで」
おれは『あの子』と発音する際、握り拳に立てた親指をすっと彼女のほうに向けた。
おれの想像ではここで「きゃあなにこの人ステキ」みたいな目線をもらうはずだったが、代わりにその他大勢が浮かべたのは困惑の表情だった。さわやか仁義系イケメン計画失敗である。
逃げるが勝ちと判断したおれはスタコラサッサと走り去り、呆れきった表情の彼女に目配せしてついてくるよう促した。
食堂の裏はまさしく食堂の裏としか言いようがないスペースである。
四畳半程度の窪みが不自然に発生したこの場所は、外界と断絶されたかのように暗く、なにもない。
こんな空間がもし街中に出現したら、間違いなく犯罪検挙率はうなぎ登りだろう。
おれは希望とライターを差し出した。
ちなみに希望というのは日本たばこ産業株式会社が戦後に発売した銘柄を意味し、実際はホープという名前である。
名前がいいので吸っているが一般ウケは悪い。
戦後というだけあってお爺ちゃんがよく吸ってるのを見かける。
そんな煙草だ。
希望。
あればいいなぁ。
おれたちはしばらく黙々と煙草をふかし、珈琲を飲んだ。
中程まで吸ったとき、彼女はふいに口にした。
「……さっきの言葉、どういう意味ですか?」
おれは驚嘆した。
「OOPS」
英語で感嘆を表現してみた。
(注釈:oops 【読み:ウップス、ウォップス】[間投詞] おおっと、あら)
「なんでそんな外人みたいなんですか……まじめに話してください……」
「いや、まさかそこまできみに対話能力があると思わなんだ」
「……ばかにしてるんですか?」
おれは首を振った。
「いや、普通の人間ならそこで意味は訊かないさ。その質問は、先ほどのおれの『お前、楽しいか』という発言に対するものだろう」
「そうですけど」
「あの言葉の意味するところを知りたいと欲するのは、俗物にはできんことだ」
「まわりくどいですね。嫌われますよ」
「きみだからこういう話し方をしている」
彼女は黙って、煙を吸った。
「おれが言った俗物というのは、きみが先ほど話していた数人のご令嬢のことだ。ひどい化粧のやりかただった。話し方も身振り手振りも、なにもかもが凡庸だった。ああいった手合いのことを蒙昧と表現するのはわかるか?」
「対義語に聡明とかが来るような言葉ですよね」
「その通り。そしてきみはおれが判断するに、間違いなく聡明だ」
「褒めてるんですか、それ?」
おれは首を振った。
「称えているんだ」
彼女は黙して、煙草の火を建物にこすりつけて消した。
しばらく考えて、吸い殻を建物の屋根の上に放った。
おれもそれに倣った。
「もしかしたら、おれたちが認められないのは、こういうことをするからなのかもしれん。そう思わないか?」
彼女は黙っていた。
「おれたちは他人からすれば下品で、品行下劣かもしれん。そして他人からの判断こそが認められるか否かの起点であり、だからみんな他人に認められるために大衆的になる。対しておれたちはあんまり我が強すぎるから、自分がしたいと思ったことをやりすぎてしまう。気分がいいと思ったことを他人からどう思われようと施行してしまう。確かに路傍へ吸い殻を放れば地球は汚れるかもしれん。しかしおれひとりが地球を汚すことを止めたところで、それがなんになる?」
「地球の寿命が一秒くらい伸びます」
「うむ。なら人間がみな息途絶えたとしたら?」
「想像もつかないけれど、すごく良い効果があるのは確かです」
「その通りだ。機械で造られた作物を食み、排気ガスの車を乗り回し、森林を切り倒してゴミを埋める。おれたちはそういった業のなかに生きているのだし、その業というものは誰もがみな背負っているものだ。なら問うがお前はその罪を自認したことがあるのか? お前は自分が生きているだけで地球が汚れるということを意識したことがあるのか? 外では吸いませんとか言って、自宅で吸い殻を燃えるゴミに出すお前、フィルタが燃えないゴミであることを知っているのか? そしてこのどうしようもない世界に気づき、夜も眠れず煙草を吸い倒し、それを忘れるために誰も知らない音楽に、自分の大好きなものに耽溺するきみは、そんな無知蒙昧な奴らの輪に加わって話をして、楽しいか?」
彼女は黙っていた。
おれも黙っていた。
おれは煙草を一本抜き取り、彼女に渡して灯を翳した。
おれも自分で一本を抜き取り、くわえて灯をつけた。
「という意味で、おれは『楽しいか』、と訊いた」
「長すぎます」と彼女は答えた。
「自分でも思ったわ。こんな喋ったの久しぶり。やっぱ話のわかる他人に講釈垂れるのって気持がいいなぁ……」
おれはほけーっとした。
「迷惑だなぁ……」
彼女は迷惑そうにした。
「でもいい話だったろ? だろ?」
彼女は頷いた。
「なんか悔しいけど」
「HAHAHA」
「外人笑いやめて……」
「LOL」
「Laughing Out Laudの略ですよねそれ」
「すげぇ、なんで知ってるんだ」
「一応パソオタです」
「えっ」
「なんですか」
「ぜんぜんそう見えねぇ。お前アレか、音楽は全部ファイルにしてMP3で訊く派か?」
「そうですけど」
「あーまじ著作権保護法違反者予備軍だわ。JASRACに告げ口したろ。ROFL」
「Rolling On The Floor Laughingですよねそれ」
「えっ」
「なんですか」
「すごい」
「なにがですか」
「おれも原義知らずに使ってたのに。物知りだなあ」
「ああそうですか」
「ちなみにJASRACのほうはなんの頭文字なの?」
「知るかよ……興味ねえし…………」
「うわあ口調が怖くなったよ。ごめんよ。まじごめんよ。あとJASRACはもっと良い方向に頑張ってくれよと常々思うよ。ごめんよ」
おれはこう見えて他人の悪意に弱い方である。
彼女はため息をついた。
「ねえ、ひとつ相談があります」
珍しい切り口だった。
「おうなんだね。人生の大先輩であるおれさまにどんどん問いなさい。出来る限り意地悪かつ難解に答えてやろう」
彼女はなにか見えない壁に阻まれたみたいに、口を開きかけて、閉じて、また開いた。
なぜか、その渓谷のような隈に落ちていくような心地がした。
「あのですね。もうままならないでしょう、いろいろ?」
「うむ」
「だからといっちゃなんですけど」
「ああ」
「わたし、自殺しようとか思ってるんですよ、これが」
きーんこーんかーんこーん。
彼女は煙草を投げ捨てた。
おれは無言のまま、頷き、ブレスケアのケースを彼女に放って渡した。
彼女は一粒を噛んでブレスをケアし、またおれに放って返し、そして去った。
取り残されたおれは戻る気になれず、その場に腰を下ろして残りの煙を吸った。
味はわからなかった。
帰り道、おれは仕事の連絡用くらいにしか使わない携帯で電話をかけ、バイト先に休むことを伝えた。
すんませんインフルエンザくさいんで行きたいんですけどちょっと休まざるを得ないっす。
ゲホゲホ。
ほとんど休んだことのないおれのことだったから、先方は快諾してくれて、そのうえおれの容態まで気遣ってくれた。
おれはひどい罪悪感を覚えた。
こう見えて、おれはわりと他人の好意に弱い方である。
や、ほんと、迷惑かけます。
はい、すんません。
お気遣いありがとうございます。
失礼します。
おれは電話を切った。
おれは自宅に戻り、パソコンを立ち上げた。
火狐のお気に入りから自分のウェブサイトに接続する。
そこにはおれが居た。
クラスの知り合いにデジタルカメラで撮影してもらった、いつもどおりのおれがいた。
写真というのにはやはり、被写体の善し悪しに関係なく、GOOD、NOT GOODの差がある。
一年ほど前に五千円を差し出しつつ「おれを一日中撮りまくっててくれ!」とその知り合いに頼み込んだ時には流石になんだこいつ……みたいな顔をされたが、結果、選ぶ余裕ができた。
そしてその画像のなかに佇むおれは間違いなくCOOLだった。
おれはそのウェブサイトに掲載されている簡素な文章を、もういちど読み返した。
そして添付されている十曲ほどの高音質な音楽ファイルを、おれの造ったいくつかの曲を、ひとつひとつ確認していった。
一通りを視察し終えると、立ち上がって荷物をまとめ始めた。
押し入れから引っ張り出したガスで動く発電機。
同じく引っ張り出した電池で動くアンプ。
歪みとディレイ、コンプレッサーとフェイズシフター。
いくつかのACアダプター。
クロームピックガードのテレキャスター。
……そう、音楽をやるための荷物を。
いつもどおりの時間、ふつうならバイトからの帰り道に通るあの場所。
乾ききったコンクリートの駅前。
空からは珍しい、秋の小雨が降り注ぐ。
傘を差すほどでもない、たおやかな雨。
薄汚れたベンチが濡れて、てらてらと光る。
そのなかで彼女は唄っている。
なにかを研鑽するように。
なにかを叙情するように。
なにかを演繹するように。
おれは抱えた荷物に邪魔されながら、ポケットから金色の硬貨を取り出す。
彼女は――。
あまりにも美しかった。
歌声は――。
あまりにも素晴らしかった。
そして、
そして彼女は、
誰からも顧みられなかった。
誰からも存在を認められなかった。
ああ。
皆が急いた足取りで我が道を行く。
まるで行き着く先に、これより素晴らしい物があるんだとでも言わんばかりに。
おれは、唐突に叫び出したい衝動に駆られた。
ここに素晴らしいなにかがある、そう叫びたかった。
金脈を探し当てた炭鉱夫のように。
埋蔵金を見つけた冒険家のように。
海底に船を見たダイバーのように。
ここに滅茶苦茶スッゲーもんがあるぞおぉ!
そう伝えてやりたかった。
奴らの目を覚ましてやりたかった。
おれは泣いたかもしれない。
雨が伝ったのかもしれない。
しかし確かに、おれの胸の内には。
得体の知れないものが蠢いていた。
それは太陽の中心より熱かった。
それは月の裏側より冷たかった。
そしてなにより、
彼女の声がそれを助長していた。
……やがて唄い終えた彼女は、
あろうことか微笑んで、
ギターを傍らに置いた。
そして、まるで有り合わせたように。
カッターを懐から取り出して、自らの首筋に当てた。
誰も、
おれの他には誰も、気づかなかった。
目の前の可憐な女の子の、死よりも。
大切な事柄があるんだとでも、言わんばかりに。
蒙昧な愚衆は歩き去っていった。
彼女の手が――。
動く。
おれの弾いたコインを、受け止めるために。
「お嬢さん!」
おれは近付きながら、ほとんど叫ぶような声量で、それでもクールな言葉を放った。
「きみの死は、おれのリクエストじゃあない!」
彼女は落としたカッターをクールに拾い上げ、制服のポケットに仕舞った。
沈黙。
しばらくのあいだ、彼女は力のない瞳でおれのことを見つめていた。
まるで夜の海のように真っ黒な瞳だった。
吸い込まれてしまうんじゃないかと怖くなった。
けれど見つめた。
ここで目を逸らしたら、もう駄目になってしまう気がした。
彼女はやがて、なにかを宣言するように叫んだ。
「じゃあっ!」
おれはちょっとびっくりした。
彼女はベンチに置かれていた通学鞄を、急にごそごそやりはじめた。
おれはちょっと戦いた。
そして期待した。
なにが出てくるんだろう……。
純粋な知への欲求が首をもたげた。
そして取り出したのは。
貯金箱。
どこか懐かしい子豚のデザインだ。
彼女はしばらくのあいだ、それを誇示するようにおれに見せつけた後、
地面に叩き付けた。
可愛らしい子豚は見るも無惨に大破し、うわぁ、とおれは思った。
なぜかそのさまは、他人が死ぬときよりももっと現実的に見えた。
そして。
粉々になった子豚の残骸のなかには。
まるで前時代の金貨のように。
十枚ほどの五百円玉が、在った。
「こっちが、りくえすとっ!」
その叫び声に驚いて顔を上げると、
彼女は泣いていた。
美しかった白磁は新聞紙を丸めたみたいにくしゃくしゃだった。
でもおれは、その顔もどうしてか、
ひどく美しく見えた。
「わたしと唄ってくださいっ!」
……彼女はおれが無類の音楽好きであると、見抜いていたのだろう。
まあ、あたりまえだ。
あんな偏屈なリクエストばっかしてりゃ。
おれがすべての機材を設置し終えた頃合いには、雨はやや強まり始めていた。
行き交う愚衆の歩みは心なしか早い。
電気をふんだんに使う、おれの機材が作動するか憂いだが、
なによりも、彼女と彼女のギターが心配でたまらなくて。
おれは急いて、リクエストの曲名を告げた。
「ピーター・ビョーン・アンド・ジョンの、”Young Folks”」
彼女はすぐさまコードをなぞった。
じゃーん、じゃじゃーん、じゃっじゃっじゃじゃーん。
おれはエフェクトを調整して、あの茫洋としたメロディーをギターで奏でた。
そして彼女の歌声は、どこまでも、純粋に美しかった。
男女のツインボーカルであるこの曲は、たしか男が先に歌う。
おれはヘタクソな唄を歌った。
必死に、声を張り上げて、歌った。
それは楽しい試みだった。
楽しくて愉しくてたまらなかった。
パートが移って、彼女の歌声。
まるで天使だ。
唄ってるとき限定で天使だなこいつ、とおれは思った。
さて、コーラス。
日本語で言うサビの部分。
おれたちは、二人で声を張り上げる。
『若くて気のいいみんなのことも
あんなに素敵なあのひとも
ぼくらは気にしちゃいないのさ』
おれたちはまるで申し合わせていたかのように、ハーモニーを創った。
『老いて陽気な彼らのことも
静かで優しいあなたのことも
うん、なんにも知りたくない』
雨のなかを駆ける影のような人々に向かって。
『自身のなかの母性でさえも
自分のなかの父性でさえも
ああ、あとにしてくれる?』
おまえたちなんか気にしちゃいねえと、そう強がって笑ってみせた。
「「All we care about is talking, Talking baby YOU AND ME!!!!」」
『だってそうだろ、
ぼくらが話すことなんて、
ぼくらのことに決まってる!』
たったららら、
ったーらったーらー。
たったららら、
ったーらー。
たったらららっ、
たーらったーらったー……。
なんともフォークな、雨に似合う曲だった。
演奏を終えた後、おれたちは黙々と片付けをした。
笑えるくらい心は充ち満ちていた。
すべてが片付いたのち、おれは笑顔に満ちた彼女に口づけた。
なんかよくわからんが、べつにそうしてもいいような気がしたのだ。
すると彼女は怒ったような笑ったような呆れたような、
なんとも表現しがたい顔をして、
最後に覚悟を決めたような顔をして、
おれに口づけを返してくれた。
さてここでハッピーエンド、ちゃんちゃん、でもいいんだけど、もうちょっと付け加えるべきことがある。
演奏を終えた後におれたちは、おれの自宅へと連れだってやってきた。(えっちなパソコンゲームだとここで濡れ場になだれ込むパターンだが、残念ながら違う)
母君は大層驚かれた。
そりゃそうだ。
息子だけならいざ知らず、雨に濡れて帰ってきたのが見知らぬ美少女というのは驚くのに十分値する。
おれはかいつまんで理由を説明しようと思ったが、さっさと部屋に上がりたくて面倒になったので「おれの彼女だ」と言った。
母君はもう一度大層驚かれて卒倒しかねない勢いで風呂場に直行し、大量のバスタオルを抱えて戻ってきた。笑えるくらいいいキャラしてんなぁと自分の母ながら思う。
ちなみに彼女だと紹介された彼女は一瞬怒ったような顔でおれのことを見たが、すぐにすべてを諦めたような顔をしてため息をつくに留めた。
おれはさらに悪戯したくなって、ほけーっとした顔で彼女を見つめている母に向かって「で、おれら結婚しようと思うんだけど」と言った。
母君はみたび驚かれてマジで卒倒しかねない勢いだったので、おれはその身を支えつつ「ごめんなさい! 冗談ですごめんなさい!」と言いつつ頬をぺしぺし叩いて気をつけた。
彼女はもう一度ため息をついた。
「……なんですかこれ」、バスタオルで髪をふきふきしながらわが私室に訪れた彼女の第一声だ。ちなみに客人を部屋に招くのは小学生のとき以来で、微妙に緊張しているところへの「なんですかこれ」だったのでちょっと心が痛かった。
「おれの要塞」とおれは答えた。
彼女は床に配置された精密機器の趣のエフェクターたちを眺め、わが自慢のVOXは五十ワットをしげしげと鑑賞し、マイクスタンドの電源を入れてとんとんと叩き、大量のレコードが積み上げられた一角から一枚を抜き出し、それをプレイヤーに入れて流し(古いアニソンが流れて大変恥ずかしかった)、部屋の隅っこに直接置かれたパソコンのディスプレイを見やって、
「…………なにもない部屋」と言った。
あるじゃないか、と反論しかけたが飲み込んだ。
たしかになにもない部屋だ。
音楽以外には。
「……でも、すごい」彼女は言った。「わたしには、ここまでできない」
おれは笑った。
「ここまでしないのがふつうだ」
「負けた気がする」
「んなこと言うなら、おれだってきみみたいにクールに唄えないさ」
彼女はまんざらでもない顔をした。
厚かましいなこいつ。
「とにかくだ」おれは電源が入ったままになっていたパソコンのまえに腰を下ろした。「こいつを見てくれ」
彼女はおれの隣に女の子座りした。
女の子座りをしている様子そのものはまあ普通だと思うが、その名称はどこかぐっとくるもんがある。女の子座り。
「あなたがいますね」と彼女は言った。
おれのウェブサイトで、おれが佇んでいた。
ちょっとシュールな気分だ。
「うむ」と俺は言った。「そしてこれを聴いてくれ」
おれは添付されていた音楽ファイルを開き、パソコンに結線されたスピーカーの音量を上げた。
乾いたドラムマシーンのリズムのうえに、低音へ偏向させるオクタ―バーと歪みを加えるブルースドライバーを乗せたギター。
我ながらヘタクソな唄が耳に痛いが、それ以外はまぁOKじゃないかと思う。
「おれの曲だ」、おれはそう言った。
彼女は一曲を黙って聴いていた。
聴き終えたあと、「ヘッドフォンないですか」と言ったので、おれはあらゆる配線でごちゃごちゃしまくっている部屋のなかを這いずり回ってヘッドフォンを探すはめになった。
「ホレ」
やっとのことで見つけ出したヘッドフォンは薄汚れていて、これ、たしか買ったときは三万円くらいしたんだよなぁ……考えねばならんなぁ……とか思いつつ手渡した。
彼女は汚れていることなんか気にしないそぶりで耳につけ、コードをパソコンに結線した。
彼女はマウスをいじって楽曲ファイルを展開し、おれの曲を聴き始めた。
さて暇になってしまったおれは灰皿を探し当てて、久方ぶりに部屋の中で煙草を吸った。
ギターとかにヤニついたらやだなぁと思って今まで避けていたが、盟友とも呼べる機材たちに囲まれつつ、美女の横顔を眺めながら喫するのは思いのほか心地よかった。
それからしばらくの間、ヘッドフォンから漏れるおれの歌声と、ときおり彼女がマウスをいじる音だけが部屋の中に響いていた。
ふいに部屋の扉が開いた。
すわポルターガイストかと身構えたが、顔を出したのは母だった。
その手には盆。
乗せられていたのはティーセットと菓子。
ナイスだ母君。
おれたち三人は部屋の中心で床に座りこみ、しばし歓談した。
「ごめんなさいねぇこの子ったら、邪魔だからって机も置かないのよ。勉強もせずに音楽ばっかり」
「でもすごいですよ。ネットで曲を発表してるなんて。いい曲ばっかりですし」
「もっと褒めろ」
「……うん、まぁまぁの曲ばっかりですし」
「うーん。私はなにがいいのかさっぱりわからないんだけれどねぇ」
「あー…………まぁそういうこともありますよ。お母様が良いと思うことが、わたしにとっていいとは限りませんし、その逆も……わたしがすごいと思うことも、お母様から見たら困り種かと思いますし」
「もっと褒めて」
「………………」
シカトかよ。
「あらもうこんな時間」ちょっとわざとらしい母君だ。「お家はどこ? 遠いの? なら晩ご飯食べていきなさい、あなたのぶんももう下ごしらえしちゃったから。今夜は唐揚げよぉ〜」
変な口調だ。
「ママンの唐揚げはうまいぞぉ〜」ノっておいた。
「え、そんなええっ?」面白いくらい当惑している。
「おいしいよぉ〜」、ノリのいい母君である。
「いやでも悪いです悪いです」
「いいからいいから」
「ああん、悪いです悪いです」
「遠慮しないで」
「いやでもそんな」
「気にしない気にしない」
以下、ここから三分くらい親切と遠慮の熱烈バトルが続くので省略。
「……ほんとごめんなさい……」
結局彼女の腹の虫がゴングとなって、勝敗は決した。
うーん、二十分くらいでできあがるわ、と言い残して母君はキッチンへ戻った。
おれは本題に戻るべく、ヘッドフォンを手に取った彼女を制して、マウスをいじってページをスクロールした。
そこには簡素な文章と、クレジットカードで現金を振り込めるフォームへ続くリンクがあった。
おれは彼女にその文章を読むように促した。
『ぼくはただの学生で、デビューもしていなければ、レコードを作ったこともありません。けれど音楽は大好きです。だからいくつかの曲を創りました。もしあなたがこれを気に入ってくれたら、すばらしいと思った分だけ、これを聴くにあたって相応しいと感じたぶんだけの対価を支払っていただけますでしょうか。もちろん、払っていただかなくても結構です。どちらかというとこれはお小遣いをせびっているようなものであって、レイディオヘッドがやっていたような正当な商売のシステムではありません。あなたから頂いたお小遣いを使って、ぼくは新しい楽器を買い、新しい音楽を創り、そしてそれをまたここで発表するのです。なかなかいいアイデアだと思いませんか?
とにかく。
ぼくの音楽を聴いてくれてありがとう。』
その次には、ヘタクソな英語の文章も続いていた。
日本語とおなじ意味の文脈だ。
ネットはグローバルであるからして、こういった気遣いも大切になってくる。
……読み終えた彼女の顔に、あきらかな歓喜の色が浮かんだ。
「……すごい、」
破顔一笑という言葉は、このためにあるんだなぁと思った。
「すごい、すごいすごい!」
おれは黙ってその賞賛を受けた。
内心、テレていた。
「これがおれの戦う道」と俺は言った。
「戦う道!」と彼女は応じた。
まるで熟れたリンゴみたいな顔だ、とおれは思った。
「きみはきっと、戦う相手がわからなかったんだ。べつに蒙昧なひとたちのことは嫌いじゃない。むしろ好きだ。彼らを敵と想定するのは、なんか違う。じゃあ誰に、なにに立ち向かえばいいの? ずっとそう考えてたんだろう」
彼女は頷いた。
「おれもおんなじことをずっと考えてた。ちょうど去年の今頃だ。朝方に公園のベンチに座って、そのベンチがたまたま落葉樹の真下で、気づいたら日が暮れて膝の上が落ち葉で一杯になってた」
「うわぁ……嘘っぽいなぁ……」
「すまん嘘だ」
「ええー」
「だって学校と、バイトとで公園なんか行く暇なかったし」
「……まぁ、そうでしょうけど」
「でも気が狂うくらい考え続けたのは確かだ」
「……うん、そうなんでしょうね」
「そして考えついたのがコレだ。レイディオヘッドのやり口のもろパクリだがなかなか悪くないぜ」
「……ちなみに、稼ぎは?」
「一年で十六万八千三百円」
彼女は、ウェーという不可思議な音声を発した。
「よく考えてみろ。年収だ、年収。月に十六万とはわけがちがうぞ」
「えぇー……でも……十六万円……」
「ほとんど煙草に消える」おれは言い切った。
「うわぁ……さっき楽器買うって書いてたのに……」
「……………… う、うん」ちょっと罪悪感がこみ上げてきた。「ま、まぁまだ時間はある。テケトーに勉強して大学いくとして五年、六年ある。そのあいだに自分を磨けばいいのだ。そしてこれで食えるくらいクールになればいいのだ。な、わかりやすいメゾットだろう。わかりやすい戦い方だろう」
彼女は頷いた。
おれはにっこりと笑った。
「話は変わるんだが」とおれは言った。
「はい」と彼女は答えた。
おれはマウスをかちかちと動かして、デスクトップを表示させた。
壁紙に設定されていた、すげぇ萌えっとしたアニメの絵が前面に押し出された。
「………………」
「………………」
完全にミスった。
「…………え―――っとぉ?」
心なしか声のトーンが低い。
「こ、ここに!」押し切ることにして、デスクトップのアイコンを指さした。ちょっとパンチラしてる部分に近くてひやひやした。こ、ここにパンチラが! とかいう展開になったら流石に居たたまれない。「まるであつらえたかのように、おれがまだ声を入れる前の新しい曲がある」
「ふむ」と彼女は言う。
「曲名は、まるであつらえたかのように、”Young Folks”という。まあいわゆるひとつのカバーだな」
「!」
感嘆符のみのシンプルな感情表現が行われた。
「もしきみがこの曲を歌ってくれるんなら、おれは今後振り込まれる金の半分をきみに渡す」
「!!」
感嘆符が二つに増えた。よい傾向だ。
「どう?」
おれは悪魔的な笑みを浮かべた。
正直、即答すると思った。
「……ひとつ、条件があります」
おれは虚を突かれて、「ハイ」と妙に行儀のいい返事をしてしまった。
「この曲だけじゃなくて、今後あなたが創る曲をすべて、わたしに歌わせること」
「!」
やべぇ、感嘆符のみのシンプルな感情表現をしてしまった。
「そして、あなたの名前でこれを発表するのではなく、わたしとあなたでバンドを組んだ、その名前で発表すること!」
「!!」
やべぇ二つに増えた。
「…………名前は」、おれはごくりと生唾を飲み込んだ。「バンド名はさ、なににしよっか?」
そう告げるときの、ある種の高揚感。
長いこと感じていなかった類のものだった。
「……決まってるじゃないですか」
おれは頷いた。
彼女は、
あろうことか、
悪魔的な笑みを浮かべた。
「いっせーので言いましょう」
「あ、それ、COOL」
「だから外人になるのやめてください」
「ごめん。ささ、どうぞどうぞ」
彼女はこほんと咳払いをした。
すうっと息を吸い込んで、
きれいな声で奏でられる、
おれたち二人の名前は。
「いっせーーーのーでっ!」
「「ヤング・フォークス!」」
……ちなみに。
イギリスのとある小さなレーベルから、『Commercial recruitment for dear Young Folks members』という題名のメールが送られてきたのは、これより半年後の話である。
俗に言う、「さあ、この国を出ましょ」というやつだ。
-----------------------------------------
さてさて。
どうもです。
なんというかあれですね、どうしてこういうの書こうという気分になったのか……。
とにかく、これが七年前の今日、われらがヤングフォークスの誕生したその成り行きになります。
急にこんなの書いてごめんなさい。
めんどくなって飛ばしてこのへんまで来ちゃった人はおれと一緒に酒を呑もう(意味不明)
まあ、えっと、釈明させていただきますと。
丁度レコーディング終わってすごくリラックスしてたんですよ。
で、ネットサーフィンして。
あーそういやブログ書いとく?とか思って……。
まあめでたく三枚目も出たわけだから、そろそろこのバンドの馴れ初め……馴れ初めっておかしいかもだけど、まあそういうのを書いてみようかと。
で、気づいたのが今日あれだ、七年目の結婚記念日(違)
こりゃ書かざるを得ないでしょ。
てことで書いてるうちにノってきて、じゃあ物語風にしてみようかと。
物語というか、これがふつうの小説のやりかたに乗っ取ってるのかどうかわからんですけど。
とにかく書いてみました。
愉しんでいただけたかどうかはわかりませんが、ここまで読んでいただいたということは上記の拙文も読んでいただけたということで、ほんとグダグダに付き合っていただいてありがとうございました。
バンドのブログにこういうの乗せていいのかどうかちょっと迷ったんですけどね。オカシイといえばオカシイし。
でもメンバー二人だけでバンドって言うのかな……。
ユニットとかじゃないのか?
ああでもユニットだとアイドルっぽいか?
ネコミミとか付けて踊るからなぁ最近のは……。
ネコミミ…………してみるか?
……いやそうじゃなくて。
すいません、やりたかったのでやりました。
反省してます。
海より深くしてます。
いやマジで。
……………。
明るくいこうか。
いやぁ今でも使ってるあのテレキャスターとかさ、実は学生の頃からのなんだよ。そういうのファン的にはすげぇ眉唾ものじゃない? 違う? あ、え? キモい? あ………………はい……………………すいません………………。
……………………。
……えっとねぇ、とりあえずアルバムはもうちょっとしたら出るから。
まあ一ヶ月くらい休んで、それからツアーはじめて、その日程の中頃くらいに出るのかなあアルバム?
わからん。
ジミーに、あ、ジミーってのはうちのレーベルの元締めみたいな奴なんだけど、そいつに訊いてみないことにはわからんです。ハイ。
あんま言ってもセールス的に駄目らしいし、あ、セールスとかヤラシーこと言っちゃだめだえっと、まあお楽しみは後までとっといてくださいみたいな?(我ながら苦しい)
とにかくツアーがあってアルバムが出るのは確かなんで(いつもどおり基本無料で全曲聴けます。気に入ったら買ってねシステムになるはず)お楽しみに! つーことです。
じゃあ、このへんで……。
またね!
追記
この記事を読んだ彼女、現おれの相方(みなさんよくご存じですね。あの人です)はものすごい剣幕でこれを削除するように命じ、おれが拒否すると身体の至る所に蹴りを入れてきたことをここに追記しておきます。
彼女はこのブログの管理者権限のパスとか知らないし、そもそもどこにサーバーがあってどういうセキュリティが掛かっててとか全部おれ任せにしやがったので、その仕返しの意味を込めて書いたのもあるんですよこれが。
どんどん読んでやってください。
そしてこの青臭い青春の一ページを貴殿の頭脳に刻み込んでやってください。
で、どんどんカワイーとかクセーとかコメントしてやってください。
それがそのままおれの仕返しになります。ウヘヘ。
最後にひとつ。
『なんて素晴らしい人生なのでしょう?』
……ではまた、どこかのライブハウスで。
2016年9月30日(金) TrackBack:0 | Comments:429
2016年9月30日(金)
疲れていた。
ひどく疲れていた。
笑えるくらい疲れていた。
足が棒のようだ、などという陳腐な表現はしたくない。
したくないが頼らざるを得ない。
プライドもポリシーもあったもんじゃない。
んなもんふかふかベッドの前にはあっという間に霧散するわ。
ちくせう。
とまあ、愚痴を考えるくらいには疲れていた。
つまり人間には芯のようなものがあって。
その芯にしてみても強かったり弱かったりして。
おれみたいに簡単に足が棒のようだなんて表現してしまうのは。
やっぱり芯が弱いってことなんだろう。
そんなふうにくどくど考えていた。
街は暗い。
もう暗くなってしまった。
おれの夢やいかに?
そんなふうに一寸おすましな思慮が進む頃合いだ。
こういう時間にはさっさと家に帰って寝るのに限る。
闇はおれを浸食してしまうから。
「『ねえ、なんてすてきな人生なのでしょう?』」
ふいに。
なにかすばらしい声が聞こえてきたように思った。
乾燥しきったコンクリートに浸透していくような。
くぐもった空をかき分けて割線せんとするような。
すべての大気に自己を希釈しようと息巻くような。
そんな天啓のような声が降り注いだように思った。
女の子だった。
笑えるくらい女の子だった。
こんなところでこんなことをしてるべきじゃない。
そんな女の子だった。
髪色は明るく、化粧は控えめ。
それもどこか自己の信ずるものに従ってそうしたような。
可憐なよそおいの、女の子だった。
いくつか描写しなくてはならない。
まず女の子がいたのは駅前の広場。
座っていたのは汚れきったベンチ。
着ていた制服は愛する母校のやつ。
抱えていたのはアコースティック。
たぶんだがマーティンのいいやつ。
唄っていたのはフリート・フォクシーズ。
そのさまは、あまりにも異様だった。
まずフリート・フォクシーズのメンバーはみんな髭をもっさり生やした二十代の青年ばかりであり、こんな可憐な女の子は間違っても在籍していない。
まあそれはいい。
だって誰も知らない。
フリート・フォクシーズなんて誰も知らない。
もちろん道行く人々は誰一人として、気にしていない。
まるでそこになにもないかのように。
自分の道を急いている。
だからこの世でおれたちを気にする人間なんて一人もいない。
でも彼女は唄っていた。
なにかを研鑽するように。
なにかを叙情するように。
なにかを演繹するように。
彼女は歌い続けていた。
彼女の化粧はまるで欠点を助長するような。
いや、欠点などひとつしかないのだけれど。
欠点と呼べるのかどうかすら怪しいけれど。
とにかく欠点を助長するようなおしろいで。
それは深く深く刻まれた、渓谷のような隈。
酒と煙草とドラッグと、不眠が肩を組んで。
そこに鎮座しているかのような、隈だった。
そしておれは自分の目元をするりと撫でた。
感じることはできないけれど、きっとそこには隈がある。
鏡を見ればいつも通りきっと、やつれた男がそこにいる。
だからかもしれない。
彼女の唄う曲はみんな似合わない曲ばかりだったけれど。
おれはずっと聴き続けていた。
おれはたった一人の聴衆となって。
その音楽たちを聴き続けていた。
どれくらい立ち尽くしていただろう。
よい感じに足が棒になっている。
やべぇまた使っちまった。
ちくせう!
ちくせうっていう書き方、なんか品性があっていいよね。
汚い言葉なのにね。
とにかく彼女は立ち上がって、片付けを始めた。
といってもケースにギターをしまうだけだ。
おれは大慌てで財布を取り出し、金色の硬貨を取り出した。
お嬢ちゃんすまねぇ、おじさん感動しちまった。もう一曲歌ってくれるかい? オレの初恋の曲さ……てな感じのイメージだ。
ぴーん!
指で弾いてクールに渡す。
中空を回転しながら飛ぶコインは、あくまでもクールに受け止められる、
はずだったが彼女の側頭部に直撃した。
あたりまえだ、こっち見てなかったじゃねえか。
「すわ、なに、痛い!」
可憐な声だった。
可憐な声だったがしかし、すわ、などという胡乱な語彙の持ち主であることにおれは期待と不安を覚えた。
いやそんな場合じゃない。
「すわ、ごめんなさあい!」
俺は駆けだしてコインを拾った。
ちげぇ、なんかちげぇ、などと自分に突っ込みを入れるが時すでにまさし。
(注釈:【▽雅 訓読み:みやび、まさ・し】宮廷風・都会風に洗練されていること。上品で優美なこと。風雅)
おれは結果的に女の子の前に躍り出る形となった。
ここで取り繕えば不慮の事故で硬貨を投げつけて、あまつさえぶつけてしまった哀れな青年として認められたかもしれなかったが(無理)、おれは拾い上げたコインの汚れをふっと息で飛ばしてそれを差し出すと、ごくクールに「お嬢ちゃんもう一曲歌ってくれるかい?」と囁いた。
「え、え? なに?」しかし彼女は困惑した。
「あ、あ、えっと」つられておれも困惑した。
「リクエスト?」彼女はどうにか要領を得た。
おれはぶんぶんと首を縦に振った。
クリストファー・ウォルステンホルムも真っ青のヘッドバンギングだ。
瞬間、ピキンという音をたてて首の根本のあたりの筋が違えた。
バイトしまくって疲弊していたことを忘れたか、阿呆、という心の声が痛みとなって脳髄に響いた。
涙と痛みを堪えつつクールな表情を取り繕い、おれは伝えた。
「カメラ・オブスキュラの、”Let’s Get Out Of This Country”」
彼女は得心したように頷いた。
心なしかその顔は期待に満ちていた。
彼女はすぐに曲を始めた。
『さあ、この国を出ましょ
もうあきあきしちゃったわ
たぶん何マイルを走っても
もう振り返ることはない
教会の街を見つけて貴男はいうの
きみ、とってもかわいいよ
さあ、この国を出ましょ
とっても不幸せだったの
ジャスミンの香りで目が覚めて
神様にみんな打ち明けたわ
教会の街を見つけて二人で住むの
あなたはハンサム、わたしは清く
結婚するにはなにがいる?
わたしはこの街、来たばかりだから
わからないの、わからないのよ!』
おれは飛び上がって喜んだ。
最高に良かったのだ。
べつだん歌声が素晴らしいわけじゃない。
ギターだってコードをなぞるだけだ。
けどそこにはおれのような人間を悦ばせる、なにかがあった。
そう、なにかだ。
それを他人に説明しろと言われれば、ひどく難しいけれど。
べつに意味もなく飛び上がったわけじゃない。
おれという人間にためにしになってみて、そしてこれを聴いてみれば。
その意味がきっと判ると思う。
そういう良さだった。
カタルシスってやつかねえ、どうだろ。
アリストテレス読んでねぇからわからん。
おれは拍手を贈った。
それくらいしか贈るものがなかった。
彼女は立ち上がってギターをしまい、それを背負った。
そしておれに一歩近付き、期待を込めた声で言った。
「どうでした?」
「う――――――――――――――んそうだねぇ。あえていうならばそうだねぇう――――――――――――――――――ん、う――――――――――――――――ん」
彼女の目の色は、おれの言葉の棒線が伸びるごとにだんだん疲れていった。
ちょっとカワイソウになった。
なのでサムズアップしつつ、最高の笑顔を造った。
「GOOD」
彼女も笑ってくれたが、その笑みはやや引きつっていた。
口元がぴくぴくしていた。
ちょっとばかしおれの表現がキモかったのかもしれぬ。
考慮に値した。
「う―――――――――――――――ん…………」
「…………あのう……」
ナイスな表現を思いついた。
これしかねぇ。
目を閉じて胸に手を当てた。
「…… まるで野に咲く花のように野性的で、かつ嫋々たる趣があった。なぜこれほどの力を持ってしても人々の足は止まらず、この素晴らしさが無下にされてしまうのだろう? おれは断じてこの理不尽から目を逸らしてはいかんと考えるが、とかく世間の無理解に耐えてよく頑張った。感動した!」
祝辞献上を終えて伺い見た。
彼女はまた笑ってくれていたが、その笑みは先ほどよりも引きつっていた。
うわぁ…………………。
って感じの笑みだった。
それは、なんかもう取り返しのつかないレベルに変容していた。
おれは脱力し、引き留めて悪かったね、ありがとう、と言った。
はい、聴いてくれてありがとうございました、と彼女は答えた。
そしておれたちは別れた。
ちなみにおれは気違いでもなんでもなく(そう思わせる節はところどころあったにせよ)、どちらかといえば平々凡々な人間である。
趣味はない。
どれくらい趣味はないかというと少々表現が難しいが、皆様方にも判り安いよう最新の注意を払い、おれの言葉を下記に現代語訳してみた。
ではどうぞ。
趣味ぃ?
うーん……。
読書ってところか?(照)
あ、あとテレビもよく見るな。
ドラマだと最近やってる『業務用コンドームとぼく』とか好きだね。女優のパイオツたまに見れるし(笑)
あれの小説読んだ? ケータイの。おもしれーからまじ。いやほんとだって。タイトルで避けてるだろお前。読めってまじで(怒)
あー音楽?スピッツとか好きだなあ。え?古い?お前スピッツ馬鹿にすんじゃねーよ?怒るぞまじで?(笑)
あー今日の授業まじかっるいなぁフケよっかなあ。
なあなあ、カラオケいかね?カラオケ!きみをわすれないー♪
なに?授業?いいんだよどうせ受けなくても赤点とかとらねーし!
まじやべー歌いたくなってきた!なあ行こうぜ!行こうぜ!
なに?キモい?
あ、
ああ、キモい……。
ああ、……はい…………すいません…………。
さて。
自分のことをこんな感じに言う奴に限って、それがポーズであることをおれは知っている。
そしておれの場合はというとだ。
違うんだなこれが。
これがマジで違うんだなこれが。
ポーズでした。
すいませんでした(弱)
さて(仕切り直し二回目)、おれは正真正銘の気違いである。
あれ、なんか自分で言い切るとすげぇ爽やかな気分だ。
危ない危ない。
まあ気違いとまでは言わないけれど、ちょっとばかし変わってる。
どれくらい変わっているかというとだ。
それはそれは変わってる。
かなり変わってる。
超変わってる。
ウルトラ(むしろウルトラというよりもオルトラに近い発音で)変わってる。
地球をひっくり返し、人類総勢六拾億を網で漉したら、一発で引っかかるレベルで変わってる。
あ、でもこれは変わってるというより単にデカイだけか……べつにおれそこまでデカくねーな……。
話がそれた。
つまりおれは変わっている。(話が進まない)
どれくらい変わっているかというと、急に実際的な話をして申し訳ないが、とにかくあまりの散財っぷりに普段は優しい母君が怒髪天を突き、いくつかの小物かつ重要な機材の類を家中のあらゆるところに隠すくらいだ。そしてそれらすべてを埃まみれになりながら探し当てたときには母はひとつため息をつき、それからおれの奇行についてなにも言わなくなった。それくらいだ。
……ごめん、一息に言い過ぎた。
じゃあこうしよう。
おれの部屋には楽器が溢れている。
いや、もっと端的に言うと。
おれの部屋には音楽とベッドしかない。
テレビもなければラジオもない。
本棚もなければ机もない。
ポスターもなければカレンダーもない。
壁もなければ床もない。
すまん、壁と床はあった。
あ、あと扉もあったな。つかそれなかったら出入りできんわ。
なに、時計? ああそれもある。うん、ごめん。忘れてた。
え、ティッシュ箱? ギックゥ! えっと…………あるに決まってんだろうがハゲ(逆ギレ)
なに、空気? ああ確かに空気もあるね。なかったら呼吸できないもんね。そういう子供みたいな突っ込みやめようね(マジギレ)
……とにかく。
存在を主張するのは、むき出しのフローリング。
そしてそのうえに乗せられたあまたの機材。
部屋の隅っこに肩身狭そうに座っているベッド。
それだけだ。
オラこんな部屋ーイヤだー、という唄があるが、まさにそんな感じだ。
話がちょっと横道に逸れるが、若者にはブンガクが必要であるからしてたまに学校の図書室からカントとかキュルケゴールとか借りてきて読むけれどさっぱりわからん。
そして読んだ後にこりゃブンガクじゃなくてテツガクだと気づく始末である。(散文的)
どっちかっていうと表紙にかわいいアニメの女の子が描いてあるやつ、ああいうのが好きだ。わかりやすい起伏があって転結がある。
しかし人生にはそんなあつらえたような起伏はない。
おれたちの敵は常にもやもやとした実体のないものだ。
だからおれは世界を仮定する。
すべてを支配しているのだと仮定する。
もちろんおれが死ねと言って総理大臣が死ぬわけでもないし、しゃぶれと言ってしゃぶってくれるわけでもない。(下品かつ散文的)
そう、おれが支配している世界は、この私室のなかに広がる音楽の世界なのである。
おれは幾度か彼女のもとに訪れた。
というか帰り道をちょっと逸れたくらいの場所なので、バイトが終わったあとはいつもチェックした。
ベンチには彼女がいるときもあれば、いないときもあった。
たとえ唄っていたとしても、勤労に疲れすぎていてまともに聴いていられないときもあった。
けれどおれは彼女の姿を認めるたびに、側頭部めがけてコインを弾いた。
最初のうちは何度か当てることに成功していたが、そのうちおれの姿を認めると身構えてコインを受け取る体勢を整えるようになってきたのが非常に口惜しくもあり面白くもある。
人間は学習するのだ。
とかくおれはそんなことばかりしていた。
なにか決定的な確証を求めて。
そしておれは訪れるたび、いつも一曲をリクエストをした。
「クランベリーズの”Animal Instinct”」
「ラウラ・マーリンの”My Manic And I”」
「カーディガンズの”Rise And Shine”」
「ゴー・ティームの”Fake ID”」
「ラッシュの”Ladykiller”」
「ソフィー・ミルマンの”My Heart Belongs To Daddy”」
驚くべきことに。
彼女は一度も首を横に振らなかった。
もちろん音楽の世界には敵がいる。
沢山の敵だ。
彼らはしかし、おれにとって心強い味方になってくれることもある。
おれはあらゆるジャンルがどう派生していったかをイメージし、たまにそれを地図に見たてて空想する。
たとえばおれはこの地図の大方を占めるロックンロールという分類に属しているが、そのジャンルが発生したカントリー・ミュージックという地帯についてはあまり理解できない。
理解できないものは敵であるからしてカントリーは敵だ。
逆にリズム・アンド・ブルースなんかはグっとくるので味方である。
だからおれは世界中に存在するカントリーよりも、もっとすばらしいロックンロールを創って戦う。
それがおれの戦いだ。
孤独な戦いだ。
勝てる見込みがあるのかないのか、それすらわからない。
「なにか、バンドとかしてないんですか?」とあるとき彼女は訊いた。
「いや。おれは、独りで戦ってる」
戦ってる、という言葉に少し不思議そうな顔をした。
おれは思いついたことを適当に喋った。
「べつに組んでもいいさ。おれより演奏がうまい奴なんてごまんといる。でもあいつらなにがひでーって、みんなバンプオブチキンのコピーやりたがるんだよ。まあ極端な話だが。でもおまえそれ……いやべつにバンプオブチキンが嫌いなわけじゃない。むしろ好きな部類だ。でもなんていうか、それ、おれらがやらなくても別の誰かがやってるだろ? っていう、な、わかる?」
彼女は笑った。
「女子でバンドを組む場合、それがチャットモンチーになります。嫌いじゃないんだけど……」
おれは大笑いした。
「まあ、そういうことだ。だからおれは独りで戦ってる。きみもそのクチだろ?」
彼女はうなずいた。
おれは空を見上げた。
幾たび彼女の声がそこに響き渡ろうと、くぐもった空は割れはしない。
そもそも聴いてなかったみたいに、だんまりを決め込んでやがる。
おれはポケットに手を伸ばして、煙草を取り出した。
灯を付けて吸い込むといつもどおりの味がした。
「一本もらっていいですか?」
思わぬ声におれは頬を緩めた。
「おいおい、いいのかよ、パトロール中のおまわりさんに捕まって未来閉ざされるぜぇ? その素晴らしいお声が擦れるぜぇプロになれないぜぇ?」
「うーん、プロとか、べつになるつもりはありませんから」
「ほう? 面白い事を言う」おれは一本を差し出し、咥えた彼女の口元に火種をかざした。「ならなぜ唄う? 純粋に唄いたいからかもしれない。しかしそれならこんな所に出てくる必要はない。スタジオにでも行って独りで唄えばいい」
彼女は一口を吸った。
「認められたいからだ。違うか? 認められて上り詰めたいからだ。違うか? だからきみはここで唄う」
彼女はため息とともに紫煙を吐き出した。
「意地悪ですね、あなた」
「うむ。それも生半可な意地悪じゃねえぞ。地球をひっくり返して六拾億の人間を網で漉したら一発で引っかかるくらい意地悪だ」
「さいですか」
「うむ。そして自分がどんなに素晴らしくても、絶対に認められないことも知っている。そうだな?」
彼女はもういちど吸って、煙を吐いた。
「……この煙草、辛くておいしくないです」
「文句ならJTに言え」
「未成年の文句は受理されません」
「その通り」おれは頷いた。「その通りだよ」
おれは吸い殻をその場に落とした。
彼女はもう一口吸って、おれに倣った。
人々が良いものに対して無関心であるのと同様に、悪いものに対しても無関心であることを、おれたちはよく知っている。
おれがまるで奴隷のようにバイトを繰り返すのはなにもマゾだからではない。
楽器というものにはなにかと金がかかるのだ。
たとえばギター。おれの持つクロームピックガードに黒のフェンダー・テレキャスター・デラックスは二十万円する。どうだ戦け、そして畏怖しろ。こいつはテレキャスターのくせにハムバッカーのピックアップを三つ備え、それぞれに呼応した三段階のスイッチを切り替えればレスポールのような重低音、テレキャスター特有のカッティングの切れ味、リッケンバッカーのような硬質なアタックが得られる優れもので、何々、何々、何々……。
とまあ話し始めると止まらないのでいかに金がかかるかを描写しよう。
まずアンプ。
これはスピーカーと言ったほうが通じるかもしれないが、要するに拡声器だ。VOXの五十ワット、七万円(中古)。
ギターとアンプを結線するケーブル。
モンスター・ケーブル、たった五メートルぽっちの導線が一万円。
数え切れないほどのエフェクター、ひとつ五千円のものから五万円のものまで一通り。
そしてそのエフェクター同士を結線するケーブルがエフェクターの数だけ、一本三千円が十本で三万円。
ふつうはギターからエフェクターに接続し、そこからエフェクター同士を繋げていき、最後にアンプに出力する。
さて足し算してみよう。えっと……めんどくせぇ。だいたい三十五万ってところだ。どう思う? きみ、払える? 音楽のためだけにこれだけ? 払えないよねぇ。
しかしおれは払った。
なんのためらいもなく払った。
それはある意味においては好ましいことなのかもしれない。
一介の学生がちょこまか動き回るだけで月に十万を稼げるというのは、高度に発達した文明社会の賜物と言える。
そしてある意味においては好ましくないことなのかもしれない。
学生にして十万を稼ぐためにはほとんどすべての時間を労働に当てねばならず、他者との完璧な隔絶を意味する。
しかしながら、おれはほとんど思考を停止して働き続けている。
得ねばならないものはまだまだたくさんある。
そして手に入れたものも沢山ある。
マイク、マイクアンプ、ドラムマシーン、新しいレコード、新しいエフェクター、代えの弦、ギターワックス、ピック、そして楽曲を編集するためのパソコン……渾然一体となったそれらのために、おれは比喩ではなく、常に、働き続けている。
学校で彼女を見つけた。
おれの行く高校はあまり賢くない。
昔から本はよく読んでたので現代文の成績は良かったが、それ以外はからっきし駄目であり、おかげでこれくらいの偏差値に落ち着いた。
べつにおれはもっと良い高校に行って学友たちと文学的な話をしたかったわけでもないし、もっと馬鹿な高校に行ってツレと煙草をふかしたかったわけでもないし、音楽の専門学校に行って組みたくもない仲間と組まされバンプオブチキンを演奏したかったわけでもないが、かといってこの中庸そのものの高校に満足しているわけでもない。
満足というより、他者との外交にそこまでの価値を感じない。
そりゃあ話しかけられれば答えるし、暇なときはくだらない事を喋ったりする。
うまいこと言うやつが居れば笑うし、逆にこっちからうまいこと言って笑わせることもある。
それがもっとも無難な道、というか、面倒くさくない道なのだ。
とくにキャパシティも占有しないし。
話を戻す。
そう、彼女もまたその面倒くさくない道を選んだようだった。
いつもどおり建物の裏で食後の一服と洒落込んだのち、ブレスケア・ミントでブレスをケアしつつ珈琲を買いに学食に戻ったおれは、姦しい集団のなかに混じって話す彼女の姿を見つけた。
おれは興味をそそられて、無糖の珈琲を飲みながらぼんやりと彼女を眺めていた。
彼女は、ひどく不器用に、笑っていた。
おれが偏屈で、そう見えるだけなのかもしれない。
事実、その集団のなかの誰一人として、彼女の笑顔を訝しむものは居なかった。
しかしながらおれは。
不器用であると。
白い肌に渓谷のように刻まれた隈が、痛々しくてたまらないと。
そう描写せざるを得なかった。
誰かが喋る。
笑う。
また誰かが喋る。
笑う。
彼女も喋る。
笑う。
また誰かが喋る。
笑う。
その繰り返し。
しかし彼女とその他大勢の間には、目に見えない隔絶が確かに横たわっている。
キュルケゴール的に言うならば、自分が絶望していることを自覚していない状態がその他、そして自分が絶望していることを自覚している状態が彼女だった。
おれは吐き気を覚えた。
考えないようにしていたものが、胃の奥からこみ上げてくるようだった。
おなじ人間であるはずなのに。
おなじ人間という種であるはずなのに。
なぜここまで、おれたちは優れてしまったのだろう?
なぜここまで、聡明でなくてはならないのだろう?
彼女はふいに座席から立ち上がって、こっちに歩いてきた。
そしておれに気づいた。
それはおれを見つけたからこちらに来たというよりも、なにか別の目的を持って歩き出したように見える。なぜならばおれは入り口近くの自販機の前でぼーっと突っ立っていたからだ。EOS(エンドオブスピーチ)。
うむ、正常な思考だ。
正常な思考ができる気違いになることほど楽しいものはないが、相手にして手に負えないのもまたこういった手合いである。なのでこれを読んでいる方、万一おれを見かけたときには廻れ右して逃げるのをお勧めする。いやこれマジで。
……とにかくも、「やあ、奇遇だねえ」とおれは声をかけた。
「あえ? あ、あなた。こんにちは……?」
「言い忘れてたがおれもここの学生なのだ。たぶん上級生である。えっへん」
「はあ、さいですか」
「まあ、はやく行きたまえ。することがあったのだろう」
「あ、はい」
彼女はとことこと歩いて、食堂の隅にあるお花畑に入っていった。
おれはひとしきり彼女がお花を摘むところを想像して愉しんだ。
戻ってきた彼女に声をかけた。
「いい花は摘めたか?」
ちげぇ。
「え?」
「言い間違えた。……お前、楽しいか?」
「……え?」
我ながら意地悪な質問だと思った。
「実直に過ぎた。なあ、お前、もう一度あそこに戻りたいか?」
「………………どういう意味ですか?」
おれはにっこりと悪魔的な笑みを浮かべた。
「食後の希望を一服したくないかという意味だ。今ならカッフェ・オーレ一杯にブレスケア・ミントのお裾分けまでついてくるぞ?」
「ごちになります」すぐに彼女は答えた。
なかなか自分の求めるところに素直だ。
おれは自販機に紙幣を挿入し、カフェオレを五つ買った。
「うわあなにしてるんですか……そんな飲めるわけないじゃん……」
「ん? ああ、いやあこれはな」
おれは一本を彼女に手渡し、残りの四本をさきほど彼女が話していたその他大勢のところに持って行った。
その他大勢は彼女抜きで姦しく会話を続けていたが、おれがそのテーブルの中心に缶を四つどかんと置くと、途端に静まり帰った。
「すまないけどちょっとあの子借りてくよ。これみんなで飲んで」
おれは『あの子』と発音する際、握り拳に立てた親指をすっと彼女のほうに向けた。
おれの想像ではここで「きゃあなにこの人ステキ」みたいな目線をもらうはずだったが、代わりにその他大勢が浮かべたのは困惑の表情だった。さわやか仁義系イケメン計画失敗である。
逃げるが勝ちと判断したおれはスタコラサッサと走り去り、呆れきった表情の彼女に目配せしてついてくるよう促した。
食堂の裏はまさしく食堂の裏としか言いようがないスペースである。
四畳半程度の窪みが不自然に発生したこの場所は、外界と断絶されたかのように暗く、なにもない。
こんな空間がもし街中に出現したら、間違いなく犯罪検挙率はうなぎ登りだろう。
おれは希望とライターを差し出した。
ちなみに希望というのは日本たばこ産業株式会社が戦後に発売した銘柄を意味し、実際はホープという名前である。
名前がいいので吸っているが一般ウケは悪い。
戦後というだけあってお爺ちゃんがよく吸ってるのを見かける。
そんな煙草だ。
希望。
あればいいなぁ。
おれたちはしばらく黙々と煙草をふかし、珈琲を飲んだ。
中程まで吸ったとき、彼女はふいに口にした。
「……さっきの言葉、どういう意味ですか?」
おれは驚嘆した。
「OOPS」
英語で感嘆を表現してみた。
(注釈:oops 【読み:ウップス、ウォップス】[間投詞] おおっと、あら)
「なんでそんな外人みたいなんですか……まじめに話してください……」
「いや、まさかそこまできみに対話能力があると思わなんだ」
「……ばかにしてるんですか?」
おれは首を振った。
「いや、普通の人間ならそこで意味は訊かないさ。その質問は、先ほどのおれの『お前、楽しいか』という発言に対するものだろう」
「そうですけど」
「あの言葉の意味するところを知りたいと欲するのは、俗物にはできんことだ」
「まわりくどいですね。嫌われますよ」
「きみだからこういう話し方をしている」
彼女は黙って、煙を吸った。
「おれが言った俗物というのは、きみが先ほど話していた数人のご令嬢のことだ。ひどい化粧のやりかただった。話し方も身振り手振りも、なにもかもが凡庸だった。ああいった手合いのことを蒙昧と表現するのはわかるか?」
「対義語に聡明とかが来るような言葉ですよね」
「その通り。そしてきみはおれが判断するに、間違いなく聡明だ」
「褒めてるんですか、それ?」
おれは首を振った。
「称えているんだ」
彼女は黙して、煙草の火を建物にこすりつけて消した。
しばらく考えて、吸い殻を建物の屋根の上に放った。
おれもそれに倣った。
「もしかしたら、おれたちが認められないのは、こういうことをするからなのかもしれん。そう思わないか?」
彼女は黙っていた。
「おれたちは他人からすれば下品で、品行下劣かもしれん。そして他人からの判断こそが認められるか否かの起点であり、だからみんな他人に認められるために大衆的になる。対しておれたちはあんまり我が強すぎるから、自分がしたいと思ったことをやりすぎてしまう。気分がいいと思ったことを他人からどう思われようと施行してしまう。確かに路傍へ吸い殻を放れば地球は汚れるかもしれん。しかしおれひとりが地球を汚すことを止めたところで、それがなんになる?」
「地球の寿命が一秒くらい伸びます」
「うむ。なら人間がみな息途絶えたとしたら?」
「想像もつかないけれど、すごく良い効果があるのは確かです」
「その通りだ。機械で造られた作物を食み、排気ガスの車を乗り回し、森林を切り倒してゴミを埋める。おれたちはそういった業のなかに生きているのだし、その業というものは誰もがみな背負っているものだ。なら問うがお前はその罪を自認したことがあるのか? お前は自分が生きているだけで地球が汚れるということを意識したことがあるのか? 外では吸いませんとか言って、自宅で吸い殻を燃えるゴミに出すお前、フィルタが燃えないゴミであることを知っているのか? そしてこのどうしようもない世界に気づき、夜も眠れず煙草を吸い倒し、それを忘れるために誰も知らない音楽に、自分の大好きなものに耽溺するきみは、そんな無知蒙昧な奴らの輪に加わって話をして、楽しいか?」
彼女は黙っていた。
おれも黙っていた。
おれは煙草を一本抜き取り、彼女に渡して灯を翳した。
おれも自分で一本を抜き取り、くわえて灯をつけた。
「という意味で、おれは『楽しいか』、と訊いた」
「長すぎます」と彼女は答えた。
「自分でも思ったわ。こんな喋ったの久しぶり。やっぱ話のわかる他人に講釈垂れるのって気持がいいなぁ……」
おれはほけーっとした。
「迷惑だなぁ……」
彼女は迷惑そうにした。
「でもいい話だったろ? だろ?」
彼女は頷いた。
「なんか悔しいけど」
「HAHAHA」
「外人笑いやめて……」
「LOL」
「Laughing Out Laudの略ですよねそれ」
「すげぇ、なんで知ってるんだ」
「一応パソオタです」
「えっ」
「なんですか」
「ぜんぜんそう見えねぇ。お前アレか、音楽は全部ファイルにしてMP3で訊く派か?」
「そうですけど」
「あーまじ著作権保護法違反者予備軍だわ。JASRACに告げ口したろ。ROFL」
「Rolling On The Floor Laughingですよねそれ」
「えっ」
「なんですか」
「すごい」
「なにがですか」
「おれも原義知らずに使ってたのに。物知りだなあ」
「ああそうですか」
「ちなみにJASRACのほうはなんの頭文字なの?」
「知るかよ……興味ねえし…………」
「うわあ口調が怖くなったよ。ごめんよ。まじごめんよ。あとJASRACはもっと良い方向に頑張ってくれよと常々思うよ。ごめんよ」
おれはこう見えて他人の悪意に弱い方である。
彼女はため息をついた。
「ねえ、ひとつ相談があります」
珍しい切り口だった。
「おうなんだね。人生の大先輩であるおれさまにどんどん問いなさい。出来る限り意地悪かつ難解に答えてやろう」
彼女はなにか見えない壁に阻まれたみたいに、口を開きかけて、閉じて、また開いた。
なぜか、その渓谷のような隈に落ちていくような心地がした。
「あのですね。もうままならないでしょう、いろいろ?」
「うむ」
「だからといっちゃなんですけど」
「ああ」
「わたし、自殺しようとか思ってるんですよ、これが」
きーんこーんかーんこーん。
彼女は煙草を投げ捨てた。
おれは無言のまま、頷き、ブレスケアのケースを彼女に放って渡した。
彼女は一粒を噛んでブレスをケアし、またおれに放って返し、そして去った。
取り残されたおれは戻る気になれず、その場に腰を下ろして残りの煙を吸った。
味はわからなかった。
帰り道、おれは仕事の連絡用くらいにしか使わない携帯で電話をかけ、バイト先に休むことを伝えた。
すんませんインフルエンザくさいんで行きたいんですけどちょっと休まざるを得ないっす。
ゲホゲホ。
ほとんど休んだことのないおれのことだったから、先方は快諾してくれて、そのうえおれの容態まで気遣ってくれた。
おれはひどい罪悪感を覚えた。
こう見えて、おれはわりと他人の好意に弱い方である。
や、ほんと、迷惑かけます。
はい、すんません。
お気遣いありがとうございます。
失礼します。
おれは電話を切った。
おれは自宅に戻り、パソコンを立ち上げた。
火狐のお気に入りから自分のウェブサイトに接続する。
そこにはおれが居た。
クラスの知り合いにデジタルカメラで撮影してもらった、いつもどおりのおれがいた。
写真というのにはやはり、被写体の善し悪しに関係なく、GOOD、NOT GOODの差がある。
一年ほど前に五千円を差し出しつつ「おれを一日中撮りまくっててくれ!」とその知り合いに頼み込んだ時には流石になんだこいつ……みたいな顔をされたが、結果、選ぶ余裕ができた。
そしてその画像のなかに佇むおれは間違いなくCOOLだった。
おれはそのウェブサイトに掲載されている簡素な文章を、もういちど読み返した。
そして添付されている十曲ほどの高音質な音楽ファイルを、おれの造ったいくつかの曲を、ひとつひとつ確認していった。
一通りを視察し終えると、立ち上がって荷物をまとめ始めた。
押し入れから引っ張り出したガスで動く発電機。
同じく引っ張り出した電池で動くアンプ。
歪みとディレイ、コンプレッサーとフェイズシフター。
いくつかのACアダプター。
クロームピックガードのテレキャスター。
……そう、音楽をやるための荷物を。
いつもどおりの時間、ふつうならバイトからの帰り道に通るあの場所。
乾ききったコンクリートの駅前。
空からは珍しい、秋の小雨が降り注ぐ。
傘を差すほどでもない、たおやかな雨。
薄汚れたベンチが濡れて、てらてらと光る。
そのなかで彼女は唄っている。
なにかを研鑽するように。
なにかを叙情するように。
なにかを演繹するように。
おれは抱えた荷物に邪魔されながら、ポケットから金色の硬貨を取り出す。
彼女は――。
あまりにも美しかった。
歌声は――。
あまりにも素晴らしかった。
そして、
そして彼女は、
誰からも顧みられなかった。
誰からも存在を認められなかった。
ああ。
皆が急いた足取りで我が道を行く。
まるで行き着く先に、これより素晴らしい物があるんだとでも言わんばかりに。
おれは、唐突に叫び出したい衝動に駆られた。
ここに素晴らしいなにかがある、そう叫びたかった。
金脈を探し当てた炭鉱夫のように。
埋蔵金を見つけた冒険家のように。
海底に船を見たダイバーのように。
ここに滅茶苦茶スッゲーもんがあるぞおぉ!
そう伝えてやりたかった。
奴らの目を覚ましてやりたかった。
おれは泣いたかもしれない。
雨が伝ったのかもしれない。
しかし確かに、おれの胸の内には。
得体の知れないものが蠢いていた。
それは太陽の中心より熱かった。
それは月の裏側より冷たかった。
そしてなにより、
彼女の声がそれを助長していた。
……やがて唄い終えた彼女は、
あろうことか微笑んで、
ギターを傍らに置いた。
そして、まるで有り合わせたように。
カッターを懐から取り出して、自らの首筋に当てた。
誰も、
おれの他には誰も、気づかなかった。
目の前の可憐な女の子の、死よりも。
大切な事柄があるんだとでも、言わんばかりに。
蒙昧な愚衆は歩き去っていった。
彼女の手が――。
動く。
おれの弾いたコインを、受け止めるために。
「お嬢さん!」
おれは近付きながら、ほとんど叫ぶような声量で、それでもクールな言葉を放った。
「きみの死は、おれのリクエストじゃあない!」
彼女は落としたカッターをクールに拾い上げ、制服のポケットに仕舞った。
沈黙。
しばらくのあいだ、彼女は力のない瞳でおれのことを見つめていた。
まるで夜の海のように真っ黒な瞳だった。
吸い込まれてしまうんじゃないかと怖くなった。
けれど見つめた。
ここで目を逸らしたら、もう駄目になってしまう気がした。
彼女はやがて、なにかを宣言するように叫んだ。
「じゃあっ!」
おれはちょっとびっくりした。
彼女はベンチに置かれていた通学鞄を、急にごそごそやりはじめた。
おれはちょっと戦いた。
そして期待した。
なにが出てくるんだろう……。
純粋な知への欲求が首をもたげた。
そして取り出したのは。
貯金箱。
どこか懐かしい子豚のデザインだ。
彼女はしばらくのあいだ、それを誇示するようにおれに見せつけた後、
地面に叩き付けた。
可愛らしい子豚は見るも無惨に大破し、うわぁ、とおれは思った。
なぜかそのさまは、他人が死ぬときよりももっと現実的に見えた。
そして。
粉々になった子豚の残骸のなかには。
まるで前時代の金貨のように。
十枚ほどの五百円玉が、在った。
「こっちが、りくえすとっ!」
その叫び声に驚いて顔を上げると、
彼女は泣いていた。
美しかった白磁は新聞紙を丸めたみたいにくしゃくしゃだった。
でもおれは、その顔もどうしてか、
ひどく美しく見えた。
「わたしと唄ってくださいっ!」
……彼女はおれが無類の音楽好きであると、見抜いていたのだろう。
まあ、あたりまえだ。
あんな偏屈なリクエストばっかしてりゃ。
おれがすべての機材を設置し終えた頃合いには、雨はやや強まり始めていた。
行き交う愚衆の歩みは心なしか早い。
電気をふんだんに使う、おれの機材が作動するか憂いだが、
なによりも、彼女と彼女のギターが心配でたまらなくて。
おれは急いて、リクエストの曲名を告げた。
「ピーター・ビョーン・アンド・ジョンの、”Young Folks”」
彼女はすぐさまコードをなぞった。
じゃーん、じゃじゃーん、じゃっじゃっじゃじゃーん。
おれはエフェクトを調整して、あの茫洋としたメロディーをギターで奏でた。
そして彼女の歌声は、どこまでも、純粋に美しかった。
男女のツインボーカルであるこの曲は、たしか男が先に歌う。
おれはヘタクソな唄を歌った。
必死に、声を張り上げて、歌った。
それは楽しい試みだった。
楽しくて愉しくてたまらなかった。
パートが移って、彼女の歌声。
まるで天使だ。
唄ってるとき限定で天使だなこいつ、とおれは思った。
さて、コーラス。
日本語で言うサビの部分。
おれたちは、二人で声を張り上げる。
『若くて気のいいみんなのことも
あんなに素敵なあのひとも
ぼくらは気にしちゃいないのさ』
おれたちはまるで申し合わせていたかのように、ハーモニーを創った。
『老いて陽気な彼らのことも
静かで優しいあなたのことも
うん、なんにも知りたくない』
雨のなかを駆ける影のような人々に向かって。
『自身のなかの母性でさえも
自分のなかの父性でさえも
ああ、あとにしてくれる?』
おまえたちなんか気にしちゃいねえと、そう強がって笑ってみせた。
「「All we care about is talking, Talking baby YOU AND ME!!!!」」
『だってそうだろ、
ぼくらが話すことなんて、
ぼくらのことに決まってる!』
たったららら、
ったーらったーらー。
たったららら、
ったーらー。
たったらららっ、
たーらったーらったー……。
なんともフォークな、雨に似合う曲だった。
演奏を終えた後、おれたちは黙々と片付けをした。
笑えるくらい心は充ち満ちていた。
すべてが片付いたのち、おれは笑顔に満ちた彼女に口づけた。
なんかよくわからんが、べつにそうしてもいいような気がしたのだ。
すると彼女は怒ったような笑ったような呆れたような、
なんとも表現しがたい顔をして、
最後に覚悟を決めたような顔をして、
おれに口づけを返してくれた。
さてここでハッピーエンド、ちゃんちゃん、でもいいんだけど、もうちょっと付け加えるべきことがある。
演奏を終えた後におれたちは、おれの自宅へと連れだってやってきた。(えっちなパソコンゲームだとここで濡れ場になだれ込むパターンだが、残念ながら違う)
母君は大層驚かれた。
そりゃそうだ。
息子だけならいざ知らず、雨に濡れて帰ってきたのが見知らぬ美少女というのは驚くのに十分値する。
おれはかいつまんで理由を説明しようと思ったが、さっさと部屋に上がりたくて面倒になったので「おれの彼女だ」と言った。
母君はもう一度大層驚かれて卒倒しかねない勢いで風呂場に直行し、大量のバスタオルを抱えて戻ってきた。笑えるくらいいいキャラしてんなぁと自分の母ながら思う。
ちなみに彼女だと紹介された彼女は一瞬怒ったような顔でおれのことを見たが、すぐにすべてを諦めたような顔をしてため息をつくに留めた。
おれはさらに悪戯したくなって、ほけーっとした顔で彼女を見つめている母に向かって「で、おれら結婚しようと思うんだけど」と言った。
母君はみたび驚かれてマジで卒倒しかねない勢いだったので、おれはその身を支えつつ「ごめんなさい! 冗談ですごめんなさい!」と言いつつ頬をぺしぺし叩いて気をつけた。
彼女はもう一度ため息をついた。
「……なんですかこれ」、バスタオルで髪をふきふきしながらわが私室に訪れた彼女の第一声だ。ちなみに客人を部屋に招くのは小学生のとき以来で、微妙に緊張しているところへの「なんですかこれ」だったのでちょっと心が痛かった。
「おれの要塞」とおれは答えた。
彼女は床に配置された精密機器の趣のエフェクターたちを眺め、わが自慢のVOXは五十ワットをしげしげと鑑賞し、マイクスタンドの電源を入れてとんとんと叩き、大量のレコードが積み上げられた一角から一枚を抜き出し、それをプレイヤーに入れて流し(古いアニソンが流れて大変恥ずかしかった)、部屋の隅っこに直接置かれたパソコンのディスプレイを見やって、
「…………なにもない部屋」と言った。
あるじゃないか、と反論しかけたが飲み込んだ。
たしかになにもない部屋だ。
音楽以外には。
「……でも、すごい」彼女は言った。「わたしには、ここまでできない」
おれは笑った。
「ここまでしないのがふつうだ」
「負けた気がする」
「んなこと言うなら、おれだってきみみたいにクールに唄えないさ」
彼女はまんざらでもない顔をした。
厚かましいなこいつ。
「とにかくだ」おれは電源が入ったままになっていたパソコンのまえに腰を下ろした。「こいつを見てくれ」
彼女はおれの隣に女の子座りした。
女の子座りをしている様子そのものはまあ普通だと思うが、その名称はどこかぐっとくるもんがある。女の子座り。
「あなたがいますね」と彼女は言った。
おれのウェブサイトで、おれが佇んでいた。
ちょっとシュールな気分だ。
「うむ」と俺は言った。「そしてこれを聴いてくれ」
おれは添付されていた音楽ファイルを開き、パソコンに結線されたスピーカーの音量を上げた。
乾いたドラムマシーンのリズムのうえに、低音へ偏向させるオクタ―バーと歪みを加えるブルースドライバーを乗せたギター。
我ながらヘタクソな唄が耳に痛いが、それ以外はまぁOKじゃないかと思う。
「おれの曲だ」、おれはそう言った。
彼女は一曲を黙って聴いていた。
聴き終えたあと、「ヘッドフォンないですか」と言ったので、おれはあらゆる配線でごちゃごちゃしまくっている部屋のなかを這いずり回ってヘッドフォンを探すはめになった。
「ホレ」
やっとのことで見つけ出したヘッドフォンは薄汚れていて、これ、たしか買ったときは三万円くらいしたんだよなぁ……考えねばならんなぁ……とか思いつつ手渡した。
彼女は汚れていることなんか気にしないそぶりで耳につけ、コードをパソコンに結線した。
彼女はマウスをいじって楽曲ファイルを展開し、おれの曲を聴き始めた。
さて暇になってしまったおれは灰皿を探し当てて、久方ぶりに部屋の中で煙草を吸った。
ギターとかにヤニついたらやだなぁと思って今まで避けていたが、盟友とも呼べる機材たちに囲まれつつ、美女の横顔を眺めながら喫するのは思いのほか心地よかった。
それからしばらくの間、ヘッドフォンから漏れるおれの歌声と、ときおり彼女がマウスをいじる音だけが部屋の中に響いていた。
ふいに部屋の扉が開いた。
すわポルターガイストかと身構えたが、顔を出したのは母だった。
その手には盆。
乗せられていたのはティーセットと菓子。
ナイスだ母君。
おれたち三人は部屋の中心で床に座りこみ、しばし歓談した。
「ごめんなさいねぇこの子ったら、邪魔だからって机も置かないのよ。勉強もせずに音楽ばっかり」
「でもすごいですよ。ネットで曲を発表してるなんて。いい曲ばっかりですし」
「もっと褒めろ」
「……うん、まぁまぁの曲ばっかりですし」
「うーん。私はなにがいいのかさっぱりわからないんだけれどねぇ」
「あー…………まぁそういうこともありますよ。お母様が良いと思うことが、わたしにとっていいとは限りませんし、その逆も……わたしがすごいと思うことも、お母様から見たら困り種かと思いますし」
「もっと褒めて」
「………………」
シカトかよ。
「あらもうこんな時間」ちょっとわざとらしい母君だ。「お家はどこ? 遠いの? なら晩ご飯食べていきなさい、あなたのぶんももう下ごしらえしちゃったから。今夜は唐揚げよぉ〜」
変な口調だ。
「ママンの唐揚げはうまいぞぉ〜」ノっておいた。
「え、そんなええっ?」面白いくらい当惑している。
「おいしいよぉ〜」、ノリのいい母君である。
「いやでも悪いです悪いです」
「いいからいいから」
「ああん、悪いです悪いです」
「遠慮しないで」
「いやでもそんな」
「気にしない気にしない」
以下、ここから三分くらい親切と遠慮の熱烈バトルが続くので省略。
「……ほんとごめんなさい……」
結局彼女の腹の虫がゴングとなって、勝敗は決した。
うーん、二十分くらいでできあがるわ、と言い残して母君はキッチンへ戻った。
おれは本題に戻るべく、ヘッドフォンを手に取った彼女を制して、マウスをいじってページをスクロールした。
そこには簡素な文章と、クレジットカードで現金を振り込めるフォームへ続くリンクがあった。
おれは彼女にその文章を読むように促した。
『ぼくはただの学生で、デビューもしていなければ、レコードを作ったこともありません。けれど音楽は大好きです。だからいくつかの曲を創りました。もしあなたがこれを気に入ってくれたら、すばらしいと思った分だけ、これを聴くにあたって相応しいと感じたぶんだけの対価を支払っていただけますでしょうか。もちろん、払っていただかなくても結構です。どちらかというとこれはお小遣いをせびっているようなものであって、レイディオヘッドがやっていたような正当な商売のシステムではありません。あなたから頂いたお小遣いを使って、ぼくは新しい楽器を買い、新しい音楽を創り、そしてそれをまたここで発表するのです。なかなかいいアイデアだと思いませんか?
とにかく。
ぼくの音楽を聴いてくれてありがとう。』
その次には、ヘタクソな英語の文章も続いていた。
日本語とおなじ意味の文脈だ。
ネットはグローバルであるからして、こういった気遣いも大切になってくる。
……読み終えた彼女の顔に、あきらかな歓喜の色が浮かんだ。
「……すごい、」
破顔一笑という言葉は、このためにあるんだなぁと思った。
「すごい、すごいすごい!」
おれは黙ってその賞賛を受けた。
内心、テレていた。
「これがおれの戦う道」と俺は言った。
「戦う道!」と彼女は応じた。
まるで熟れたリンゴみたいな顔だ、とおれは思った。
「きみはきっと、戦う相手がわからなかったんだ。べつに蒙昧なひとたちのことは嫌いじゃない。むしろ好きだ。彼らを敵と想定するのは、なんか違う。じゃあ誰に、なにに立ち向かえばいいの? ずっとそう考えてたんだろう」
彼女は頷いた。
「おれもおんなじことをずっと考えてた。ちょうど去年の今頃だ。朝方に公園のベンチに座って、そのベンチがたまたま落葉樹の真下で、気づいたら日が暮れて膝の上が落ち葉で一杯になってた」
「うわぁ……嘘っぽいなぁ……」
「すまん嘘だ」
「ええー」
「だって学校と、バイトとで公園なんか行く暇なかったし」
「……まぁ、そうでしょうけど」
「でも気が狂うくらい考え続けたのは確かだ」
「……うん、そうなんでしょうね」
「そして考えついたのがコレだ。レイディオヘッドのやり口のもろパクリだがなかなか悪くないぜ」
「……ちなみに、稼ぎは?」
「一年で十六万八千三百円」
彼女は、ウェーという不可思議な音声を発した。
「よく考えてみろ。年収だ、年収。月に十六万とはわけがちがうぞ」
「えぇー……でも……十六万円……」
「ほとんど煙草に消える」おれは言い切った。
「うわぁ……さっき楽器買うって書いてたのに……」
「……………… う、うん」ちょっと罪悪感がこみ上げてきた。「ま、まぁまだ時間はある。テケトーに勉強して大学いくとして五年、六年ある。そのあいだに自分を磨けばいいのだ。そしてこれで食えるくらいクールになればいいのだ。な、わかりやすいメゾットだろう。わかりやすい戦い方だろう」
彼女は頷いた。
おれはにっこりと笑った。
「話は変わるんだが」とおれは言った。
「はい」と彼女は答えた。
おれはマウスをかちかちと動かして、デスクトップを表示させた。
壁紙に設定されていた、すげぇ萌えっとしたアニメの絵が前面に押し出された。
「………………」
「………………」
完全にミスった。
「…………え―――っとぉ?」
心なしか声のトーンが低い。
「こ、ここに!」押し切ることにして、デスクトップのアイコンを指さした。ちょっとパンチラしてる部分に近くてひやひやした。こ、ここにパンチラが! とかいう展開になったら流石に居たたまれない。「まるであつらえたかのように、おれがまだ声を入れる前の新しい曲がある」
「ふむ」と彼女は言う。
「曲名は、まるであつらえたかのように、”Young Folks”という。まあいわゆるひとつのカバーだな」
「!」
感嘆符のみのシンプルな感情表現が行われた。
「もしきみがこの曲を歌ってくれるんなら、おれは今後振り込まれる金の半分をきみに渡す」
「!!」
感嘆符が二つに増えた。よい傾向だ。
「どう?」
おれは悪魔的な笑みを浮かべた。
正直、即答すると思った。
「……ひとつ、条件があります」
おれは虚を突かれて、「ハイ」と妙に行儀のいい返事をしてしまった。
「この曲だけじゃなくて、今後あなたが創る曲をすべて、わたしに歌わせること」
「!」
やべぇ、感嘆符のみのシンプルな感情表現をしてしまった。
「そして、あなたの名前でこれを発表するのではなく、わたしとあなたでバンドを組んだ、その名前で発表すること!」
「!!」
やべぇ二つに増えた。
「…………名前は」、おれはごくりと生唾を飲み込んだ。「バンド名はさ、なににしよっか?」
そう告げるときの、ある種の高揚感。
長いこと感じていなかった類のものだった。
「……決まってるじゃないですか」
おれは頷いた。
彼女は、
あろうことか、
悪魔的な笑みを浮かべた。
「いっせーので言いましょう」
「あ、それ、COOL」
「だから外人になるのやめてください」
「ごめん。ささ、どうぞどうぞ」
彼女はこほんと咳払いをした。
すうっと息を吸い込んで、
きれいな声で奏でられる、
おれたち二人の名前は。
「いっせーーーのーでっ!」
「「ヤング・フォークス!」」
……ちなみに。
イギリスのとある小さなレーベルから、『Commercial recruitment for dear Young Folks members』という題名のメールが送られてきたのは、これより半年後の話である。
俗に言う、「さあ、この国を出ましょ」というやつだ。
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さてさて。
どうもです。
なんというかあれですね、どうしてこういうの書こうという気分になったのか……。
とにかく、これが七年前の今日、われらがヤングフォークスの誕生したその成り行きになります。
急にこんなの書いてごめんなさい。
めんどくなって飛ばしてこのへんまで来ちゃった人はおれと一緒に酒を呑もう(意味不明)
まあ、えっと、釈明させていただきますと。
丁度レコーディング終わってすごくリラックスしてたんですよ。
で、ネットサーフィンして。
あーそういやブログ書いとく?とか思って……。
まあめでたく三枚目も出たわけだから、そろそろこのバンドの馴れ初め……馴れ初めっておかしいかもだけど、まあそういうのを書いてみようかと。
で、気づいたのが今日あれだ、七年目の結婚記念日(違)
こりゃ書かざるを得ないでしょ。
てことで書いてるうちにノってきて、じゃあ物語風にしてみようかと。
物語というか、これがふつうの小説のやりかたに乗っ取ってるのかどうかわからんですけど。
とにかく書いてみました。
愉しんでいただけたかどうかはわかりませんが、ここまで読んでいただいたということは上記の拙文も読んでいただけたということで、ほんとグダグダに付き合っていただいてありがとうございました。
バンドのブログにこういうの乗せていいのかどうかちょっと迷ったんですけどね。オカシイといえばオカシイし。
でもメンバー二人だけでバンドって言うのかな……。
ユニットとかじゃないのか?
ああでもユニットだとアイドルっぽいか?
ネコミミとか付けて踊るからなぁ最近のは……。
ネコミミ…………してみるか?
……いやそうじゃなくて。
すいません、やりたかったのでやりました。
反省してます。
海より深くしてます。
いやマジで。
……………。
明るくいこうか。
いやぁ今でも使ってるあのテレキャスターとかさ、実は学生の頃からのなんだよ。そういうのファン的にはすげぇ眉唾ものじゃない? 違う? あ、え? キモい? あ………………はい……………………すいません………………。
……………………。
……えっとねぇ、とりあえずアルバムはもうちょっとしたら出るから。
まあ一ヶ月くらい休んで、それからツアーはじめて、その日程の中頃くらいに出るのかなあアルバム?
わからん。
ジミーに、あ、ジミーってのはうちのレーベルの元締めみたいな奴なんだけど、そいつに訊いてみないことにはわからんです。ハイ。
あんま言ってもセールス的に駄目らしいし、あ、セールスとかヤラシーこと言っちゃだめだえっと、まあお楽しみは後までとっといてくださいみたいな?(我ながら苦しい)
とにかくツアーがあってアルバムが出るのは確かなんで(いつもどおり基本無料で全曲聴けます。気に入ったら買ってねシステムになるはず)お楽しみに! つーことです。
じゃあ、このへんで……。
またね!
追記
この記事を読んだ彼女、現おれの相方(みなさんよくご存じですね。あの人です)はものすごい剣幕でこれを削除するように命じ、おれが拒否すると身体の至る所に蹴りを入れてきたことをここに追記しておきます。
彼女はこのブログの管理者権限のパスとか知らないし、そもそもどこにサーバーがあってどういうセキュリティが掛かっててとか全部おれ任せにしやがったので、その仕返しの意味を込めて書いたのもあるんですよこれが。
どんどん読んでやってください。
そしてこの青臭い青春の一ページを貴殿の頭脳に刻み込んでやってください。
で、どんどんカワイーとかクセーとかコメントしてやってください。
それがそのままおれの仕返しになります。ウヘヘ。
最後にひとつ。
『なんて素晴らしい人生なのでしょう?』
……ではまた、どこかのライブハウスで。
2016年9月30日(金) TrackBack:0 | Comments:429



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